第348節『守られた井伊谷』
第348節『守られた井伊谷』
浜松城が、武田の脅威から解放されて数日が過ぎた。
城内では、戦後処理と復興が急ピッチで進められ、徳川家は少しずつ、しかし確実に息を吹き返し始めていた。源次もまた、家康から与えられた一室で、徳川家中の新たな力関係を肌で感じながら、一つの報せを待ちわびていた。
井伊谷の、安否。
その日の昼下がり。
ついに、井桁の紋を掲げた早馬が、浜松城へと到着した。
源次の元へ届けられたのは、待ちわびた、直虎からの書状だった。
彼は、震える手で封を切った。そこに記されていたのは、簡潔ながら、彼が最も聞きたかった言葉だった。
『――武田の軍勢、ついに一度も井伊谷に姿を見せることなく、甲斐へと完全に撤退せり。領民、誰一人として血を流すことなく、この冬を越すことができました。これも全て、そなたの深謀遠慮の賜物。心より、感謝いたします』
その一文を読んだ瞬間、これまで張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた。
源次は、書状を固く握りしめたまま、その場に膝をついた。
(……勝った)
彼の目から、熱いものがこぼれ落ちた。
(俺は、歴史に勝ったんだ……!)
これまでの戦いは、目の前の敵をいかにして打ち破るかという、「戦術」の連続だった。村櫛党を滅ぼし、祝田の谷で勝利した。それは、軍師としての確かな達成感を与えてくれた。
だが、今回は違う。
彼は、「三方ヶ原で徳川は敗れる」という、避けられぬ敗北を前提としながら、その敗戦すらも利用し、情報、経済、そして軍事を複合させた、巨大な「戦略」を組み上げた。個々の戦いの勝ち負けではない。井伊家を生き残らせるという、国家レベルの目的を、彼は達成したのだ。
自らの知略が、推しの未来を、そして井伊谷の民の平穏を守り抜いた。その事実に、これまでのどの勝利とも比較にならない、深い、震えるほどの満足感が胸を満たした。
だが、その達成感と同時に、彼の胸には、冷たい風が吹き抜けていた。
脳裏に蘇るのは、三方ヶ原の地獄絵図。祝田の谷で、村櫛の港で、自らの策によって流された、数えきれないほどの血。
歴史研究家として書物の上で見てきた「死者数」という乾いた数字が、今、生々しい現実の痛みとなって、彼の心を苛む。
(……俺は、この手で、あまりに多くの命を動かしすぎた)
戦術家としての才能が開花すればするほど、現代人としての魂は、その罪の重さに悲鳴を上げていた。
彼は、書状をそっと胸に当て、主君に語りかけた。
(直虎様……あなたの民は、無事です。あなたの笑顔は、守られました。……だが、そのために、俺は……)
涙は、止まらなかった。
それは、勝利の嬉し涙だけではなかった。
多くの命を犠牲にしたことへの深い悔恨と、それでもなお、たった一人の大切な人を守れたことへの、あまりにも身勝手な安堵。
その二律背反する感情の奔流に、彼はただ打ちひしがれるしかなかった。