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第347節『徳川家中の変化』

第347節『徳川家中の変化』

 主君が、陪臣の男に自らの魂とも言うべき脇差を与え、「真の盟友」と呼んだ――。

 その衝撃的な事実は、瞬く間に浜松城内を駆け巡り、徳川家中に静かな、しかし確かな地殻変動を引き起こしていた。

 もはや、源次を「井伊の若造」と侮る者は、どこにもいない。

 徳川家臣団は、この異質な存在を、それぞれの立場で受け止め、自らの内に消化しようとしていた。


 城内の武芸稽古場。

 木槍が空を切り、土埃が舞う中、本多忠勝は鬼神のごとき気迫で若武者たちを打ち据えていた。だが、彼の脳裏から、あの日の源次の姿が離れない。

(……あの男)

 彼は、木槍を振るう手を止め、汗を拭った。

(儂の槍働きとは、まるで違う戦をする。だが、その戦で、確かに徳川は救われた。認めねばなるまい。あの男の『知』は、儂の『武』に勝るとも劣らぬ、本物の力だ)

 武人としての彼の魂は、源次を好敵手と認めていた。だが、彼の胸を焼くのは、もはや嫉妬ではなかった。主君に「儂では不足か」と思わせてしまった、自分自身の不甲斐なさへの怒りだった。

(……次に戦場で会う時は、負けはせん。この槍で、奴の知略のさらに上を行く武功を立て、儂こそが徳川随一の武人であることを、殿に、そしてあの男に、見せつけてくれるわ)

 彼の目に、健全なライバル意識という名の、新たな闘志の炎が灯った。


 一方、城の書院では、榊原康政が黙々と地図を睨んでいた。

 彼の指は、井伊水軍が辿った航路と、三方ヶ原での徳川軍の動きを、何度も、何度もなぞっている。

(……恐ろしい男だ)

 彼の胸に宿るのは、忠勝のような闘志ではない。

 知将としての、純粋な畏怖だった。

(殿は、あの男を盟友とすることで、井伊家を徳川の体制に完全に組み込み、その力を自在に使うための布石を打たれた。だが、それはあまりに危険な賭け。あの男は、我らの想像を超える『怪物』やもしれぬ)

 彼は、源次をライバル視するのではなく、「徳川家として、この怪物をいかにして御し、利用していくか」という、より高次の戦略的な思考を始めていた。彼は源次を、警戒すべき協力者として、その一挙手一投足を観察し続けることを決意した。


 そして、家老筆頭である酒井忠次の部屋。

 彼は、一人静かに茶を点てながら、あの茶室での源次との対話を思い出していた。

 自らの秘密を探りながらも、決して踏み込まず、逆に共闘の道を示してきた、あの若者の、底知れぬ器量。

(殿は、あの男に『友』としての信頼を寄せられた。だが、あの男が抱える『謎』は、まだ何も解けてはいない。あるいは、その謎こそが、我が徳川家が抱える最大の『宿命』と、いつか結びつくことになるやもしれぬ……)

 彼は、源次を徳川家の未来にとって、より根源的で重要な存在として認識し始め、自らがその「繋ぎ役」となる覚悟を静かに固めていた。


 武の忠勝、知の康政、そして謀の忠次。

 徳川家を支える三本の柱が、それぞれ異なる形で、源次という異質な存在を認め、受け入れ、そして向き合うことを決めた。

 この一件により、源次と井伊水軍は、徳川家中で誰もが認め、そして一目置かざるを得ない、特別な存在として、確固たる地位を築くことになったのだ。

 浜松城の空気は、確かに変わっていた。

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