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第334節『嵐の助け』

第334節『嵐の助け』

 武田の伏兵を退けた安堵は、束の間だった。

 鷲ノ瀬を抜けた船団の前に、今度は剥き出しの自然そのものが、最大の敵として牙を剥いた。

 風は唸りを上げて狂い、雨は槍のように湖面を叩きつける。それまでとは比較にならないほどの巨大なうねりが、船団を呑み込もうと次々と襲いかかってきた。


「左舷より大波! 立て直せ!」

 権兵衛の怒声が飛ぶが、その声すらも嵐の轟音にかき消されそうだった。

 彼の偵察部隊は、卓越した操船技術でかろうじて波を乗りこなしている。だが、米を満載し、重心が高くなっている商人たちの輸送船団は、そうはいかなかった。


「だ、駄目だ! 舵が効かねえ!」

 一隻の商船が、巨大な横波を受けて大きく傾いだ。積荷の米俵が荷崩れを起こし、片舷へと滑り落ちる。船はさらに傾き、マストが水面に叩きつけられそうになる。

「転覆するぞ!」「誰か助けてくれ!」

 船乗りたちの悲鳴が、風に乗って響き渡った。

 新太の戦闘部隊が救援に向かおうとするが、自らの船を維持するだけで精一杯。もはや、万策尽きたかに見えた。


 その絶望的な光景を、後方の旗艦「竜神丸」の櫓の上から、源次は静かに見つめていた。

 彼の身体は、船の揺れに合わせて、まるで柳のようにしなやかに揺れている。恐怖はない。彼の脳裏には、全く別の計算が、恐るべき速度で組み立てられていた。


(波の周期は、およそ十数える間隔。風向きは北西から西へ、わずかに変化し始めている。これは、この嵐の『目』が近づいている証拠だ)

 漁師としての身体の記憶が、嵐の呼吸を肌で感じ取る。

(過去の海難事故の記録を思い出せ。こういう時、最も危険なのはパニックに陥り、個々がバラバラに動くことだ。必要なのは、統一された指揮と、最も生存確率の高い一点への集中)

 歴史研究家としての分析力が、膨大なデータベースから最適解を探し出す。

(今、あの船を救う方法は一つしかない。傾きを戻すには、反対側からの力が必要だ。だが、どうやって?)

 現代人としての論理的思考が、その方法を導き出した。


「――権兵衛!」

 源次は、伝令役の若者にではなく、自ら腹の底から声を張り上げた。

「聞こえるか! 傾いた船の反対側に、お前の船をぶつけろ!」

「なっ……! 正気か、源次! 仲間討ちになるぞ!」

 権兵衛の驚愕の声が、風に乗って返ってきた。


「問答は無用だ! 次の大きなうねりが来る、十数えるうちにやるんだ! 衝撃で積荷を反対側へずらす! それしか道はない!」

 それは、常識では考えられない、狂気の沙汰としか思えない命令だった。

 だが、権兵衛は、その声に宿る絶対的な確信を前に、一瞬だけ迷った後、腹を括った。

「……分かったよ、大船頭! あんたの神頼み、乗ってやる!」


 権兵衛は、神がかり的な操船で自らの船を操ると、次の巨大なうねりが来る直前、傾いた商船の側面に、計算され尽くした角度と速度で、自らの船を「衝突」させた。

 ゴッ、という鈍い衝撃音。

 商船はさらに大きく揺れたが、その衝撃で、滑り落ちかけていた米俵がガタガタと音を立てて反対側へと移動し、船の重心が奇跡的に中央へと戻ったのだ。

「……戻った! 船が、立て直ったぞ!」

 船乗りたちの歓喜の叫びが上がる。


 源次は、息つく暇もなく、次の指示を飛ばした。

「全船、帆を半張り! 次のうねりに乗り、あの岩陰を目指す! そこが、この嵐をやり過ごせる唯一の場所だ!」

 彼の指示に従い、船団はまるで一つの生き物のように、嵐の中のわずかな活路へと突き進んでいく。

 兵たちは、その光景を、信じられないという目で見つめていた。

 自分たちの軍師が、天候そのものを読み解き、荒れ狂う自然の猛威すらも味方につけている。

 その姿は、もはや人知を超えた存在のように、彼らの目に映っていた。

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