第332節『新太の奮戦』
第332節『新太の奮戦』
「――岸へ乗り上げよ! 敵の懐に飛び込むぞ!」
新太の咆哮が、嵐の轟音を切り裂いた。
その号令一下、井伊水軍の戦闘部隊が、まるで陸へと駆け上がる海獣の群れのように、次々と岸辺の林へと乗り上げていく。
船底が砂を擦る音、兵たちが水飛沫を上げて飛び降りる音。
海の戦いは、一転して、敵の伏兵が潜む森の中での、血で血を洗う白兵戦の舞台へと変貌した。
矢の雨が降り注ぐ中、新太は誰よりも早く岸に降り立ち、その元凶である崖の上の弓兵たちを睨みつけた。
「回り込め! 崖の上を制圧するぞ!」
彼の短い指示に、弥助率いる元武田の兵たちが、阿吽の呼吸で応える。彼らは、この程度の山道など庭同然。獣のような身のこなしで、音もなく崖を駆け上がっていった。
一方、新太自身は、敵の主力が潜む林の中心へと、一直線に突撃した。
「うおおおおおっ!」
彼の槍が、闇を切り裂く。
待ち構えていた武田の兵たちが、槍衾を作ってその突進を止めようとする。だが、その穂先の壁を、新太は紙のように突き破った。
彼の胸に、ためらいはなかった。
目の前にいるのは、かつて同じ旗の下にいた兵たちかもしれぬ。だが、彼らは今、自分の仲間――輸送船団に乗る商人たちや、共にこの船に乗る井伊の兵たち――の命を脅かす、紛れもない「敵」だった。
(俺の居場所は、もはやここしかないのだ)
その揺るぎない覚悟が、彼の槍を、鬼神のそれへと変貌させていた。
穂先が閃けば兜が砕け、石突が振るわれれば盾が割れる。彼の進む道には、武田菱の旗指物を背負った兵たちが、次々と血の海に沈んでいった。
だが、彼の戦いぶりは、ただの殺戮ではなかった。
彼の脳裏には、父・武田信玄の、あの圧倒的な戦の姿が焼き付いている。
(父上……あんたが創り上げた最強の軍は、確かに強い。だが、その戦い方は、あまりに多くの血を流しすぎる)
彼は、無駄な殺生を避けるように、敵の指揮官だけを的確に狙い、槍の柄で兵を打ち払い、戦意を砕くことに集中した。それは、ただ敵を滅ぼすのではなく、被害を最小限に抑え、この戦を「終わらせる」ための戦い方だった。
父の「覇道」に対し、自らの「王道」を。
彼は、この戦場で、自らが将として、父という巨大な存在を乗り越えようとしていたのだ。
「――邪魔だ!」
咆哮と共に、彼の槍が再び踊り始める。
もはや、そこに迷いはなかった。
井伊の将として、仲間を守るための責任感。
そして、父とは違うやり方で勝利を掴むという、息子としての矜持。
その二つが、彼の槍を、かつてないほどの冴えわたるものにしていた。
嵐の中、彼の奮戦は、絶望的だった戦況を、少しずつ、しかし確実に覆していく。