第318節『護衛艦隊、編成』
第318節『護衛艦隊、編成』
商人たちが覚悟を決めたことで、井伊水軍の「海の生命線」作戦は、ついにその最後のピースを手に入れた。
だが、米を積んだ商船団は、いわば無防備な肉体そのもの。それを守るための、強靭な鎧と鋭い牙がなければ、この作戦は成り立たない。
その日の夕刻、源次は拠点に集う全ての戦闘部隊の将たちを、旗艦「竜神丸」の甲板へと召集した。
夕陽が湖面を血の色に染め、集まった男たちの顔を赤く照らし出す。その中には、井伊家譜代の若武者、権兵衛配下の腕利きの海の男、そして新太率いる元武田の兵、その全ての代表者が顔を揃えていた。
源次は、その異質な集団を前に、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで口を開いた。
「これより、輸送船団を護衛するための、特別選抜部隊を編成する」
その言葉に、将たちの間に緊張が走った。
「この部隊は、我が井伊水軍の精鋭中の精鋭で構成される。陸の戦を知る者、海の技に長けた者、その双方の力を結集させ、いかなる敵をも打ち破る、最強の混成部隊とする」
彼は、その部隊の指揮官として、ただ一人、名を呼んだ。
「その全権は、船手頭・新太殿に託す」
名を呼ばれた新太は、その言葉を待っていたかのように、一歩前に進み出た。
源次は、彼に向き直ると、集まった全ての将兵に聞こえるよう、力強く告げた。
「新太殿の役目は、ただ一つ。輸送船団を、絶対に沈ませないこと。一隻たりともな。そのためなら、何をしてもいい。あなたの下す判断の全てを、軍師である私が信じ、その全責任を負う」
それは、単なる任務の伝達ではなかった。
軍師が、一人の将に、戦場における全ての判断を委ねるという、絶対的な信頼の表明だった。
この時代の戦において、それはありえないほどの権限委譲であった。
新太は、その言葉の重みに、息を呑んだ。
友が、自らの命運だけでなく、この作戦の、ひいては井伊家の未来の全てを、自分の槍に託そうとしている。
彼は、武者震いを抑えながら、深く、力強く頷いた。
「……御意」
その一言を合図に、新太は集まった兵たちへと向き直った。
その瞳には、もはや友と語らう時の穏やかさはない。
一つの部隊の、いや、一つの家の運命を背負う、将の顔があった。
「聞いたか、野郎ども! 俺たちは、ただの護衛ではない! この井伊家の生命線を守り抜く、最後の砦だ! 陸の者も、海の者も、もはや関係ない! あるのは、同じ船に乗る仲間だけだ! 俺の命令は絶対だ! だが、俺は決してお前たちを犬死にはさせん! 全員、生きて帰るぞ!」
その魂の叫びに、出自の違う兵たちの心が、初めて一つになった。
「「「おおっ!!」」」
地鳴りのような鬨の声が、夕暮れの浜名湖に響き渡った。
源次は、その光景を、少し離れた場所から静かに見守っていた。
(……これでいい。俺の役目は、状況を整えることまで。戦場の主役は、新太だ)
彼の胸に、友への絶対的な信頼と、そして自らの手を離れていく作戦の行方への、静かな祈りが宿っていた。
この戦いにおいて、井伊水軍最強の刃となる部隊が、今、確かに産声を上げた。