第317節『商船団、集結』
第317節『商船団、集結』
三人の将による密議が終わった翌日。
源次の呼びかけに応じ、井伊水軍と協力関係にある遠江中の商人たちが、浜名湖の秘密の入り江に次々と集結してきた。彼らの顔には、この物々しい雰囲気の中、一体何が始まるのかという、期待と不安が入り混じった表情が浮かんでいる。
彼らは表向き、「井伊家が買い占めた米を、安全な場所へ移送する」という名目で雇われていた。先日、試験的に開かれた熱田湊への交易路。その莫大な利益を目の当たりにした彼らにとって、井伊水軍との協業は、大きな儲け話に違いなかった。
入り江に停泊する十数隻の商船。その船主たちが集められた浜辺に、源次は一人で姿を現した。
彼は、集まった商人たちの顔を一人ひとり見渡すと、単刀直入に切り出した。
「集まってもらった儀、他でもない。皆には、これから我が井伊水軍と共に、戦場へ赴いてもらう」
その一言に、商人たちの間に激しい動揺が走った。
「せ、戦場だと!?」「話が違う! 我らはただ米を運ぶだけの約束!」「武田の軍勢相手に、我らを死なせるおつもりか!」
恐怖と怒りの声が、一斉に上がった。
だが、源次は動じなかった。
「無論、ただ死ねと申すのではない。皆には、この戦で巨万の富を掴む好機を与える、と申しておるのだ」
彼は、懐からずしりと重い金袋をいくつも取り出すと、それを砂浜へと置いた。村櫛党から鹵獲した金銀の一部だった。
「これは手付金だ。これからお前たちが運ぶ米は、浜松城へ届ける。徳川様を救うための、命の米だ」
商人たちの呼吸が荒くなった。危険は計り知れない。だが、目の前に積まれた金は、その危険に見合うだけのものだった。
「だが、これはほんの始まりに過ぎない」
源次は、商人たちの目が金に釘付けになっているのを確認すると、声を潜めた。
「この命がけの任務を果たした者には、我が井伊家が全責任を持って保証人となり、徳川家康公から**『三河・遠江御用商人』**としての朱印状が下されるよう、俺が約束を取り付ける」
その言葉に、商人たちはごくりと喉を鳴らした。それは、この地域での商いを独占的に行える、絶大な特権を意味していた。
「思い出せ。先日、熱田で得た莫大な利益を。あれは始まりに過ぎない。徳川家の後ろ盾を得れば、お前たちの商いは、日の本全土へと広がるのだ。……この話、乗るか、乗らぬか」
恐怖を、それを遥かに上回る「欲望」で塗り替える。
一人の老商人が、震える声で問いかけた。「……だが、もし負ければ、我らは全てを失う」
「そうだ」と源次は即答した。「だからこそ、これはお前たちにとっての『戦』なのだ。ただ荷を運ぶ人足として参加するのではない。自らの船と命を賭け、未来の富を掴み取るための、商人としての戦だ。俺は、その覚悟のある者としか、この舟には乗らん」
その言葉は、彼らを単なる雇い人ではなく、「共犯者」として引きずり込む、悪魔的な響きを持っていた。
しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのは、あの老商人だった。
「……面白い。その賭け、乗った」
その一言を皮切りに、他の商人たちも、次々と覚悟を決めた顔で頷いていった。
大規模な輸送船団が、ついに組織された。
源次は、その光景を静かに見つめていた。
(……これで、駒は揃った)
彼の視線が、入り江の入り口で、屈強な兵たちを率いて待機する、一人の男へと向けられた。
新太。この脆く、しかし価値のある船団を守り抜くための、最強の「槍」。
作戦の準備は、最終段階へと入ろうとしていた。