第305節『徳川の慢心』
第305節『徳川の慢心』
冬が過ぎ、井伊谷に春が訪れた。
雪解け水が小川を満たし、山々は芽吹き始めた木々の柔らかな緑に包まれる。源次が描いた二つの計画――陸での米の買い占めと、海での交易路開拓――は、この数ヶ月で着実に、そして静かに進行していた。小野政次の指揮下、商人たちが遠江・三河中を駆け巡り、市場の米を買い集める。一方、浜名湖では権兵衛の船団が周辺の水賊を掃討し、熱田湊への安全な航路を確保しつつあった。井伊家は、来るべき嵐に備え、水面下で着々とその力を蓄えていた。
その一方で、同盟相手である徳川家では、全く異なる空気が流れていた。
春になり、雪解けと共に武田との国境での小競り合いが再開されたが、徳川軍は地の利を活かし、その全てで勝利を収めていたのだ。
浜松城の評定の間は、勝利の報告に沸き立っていた。
「殿! 昨日もまた、武田の斥候部隊を撃退いたしました!」「これで三連勝にございますな!」
家臣たちの称賛の声に、上座に座す家康は満足げに頷いた。彼の顔には、三方ヶ原での大敗の屈辱を晴らしつつあることへの、確かな自信がみなぎっていた。
「うむ。見たか、皆の者。信玄も老いたり。もはや、我らが三河武士の敵ではないわ!」
その豪放な言葉に、本多忠勝をはじめとする猛将たちが「おおっ!」と鬨の声を上げる。城内は、もはや武田を恐れるどころか、侮る空気すら蔓延し始めていた。
その報せは、定期連絡の使者を通じて、井伊谷の源次の元へも届けられた。
彼は、徳川の連戦連勝を伝える書状を読みながら、眉間に深い皺を刻んだ。
(……まずい。あまりに勝ちすぎている)
彼の脳裏には、歴史書に記された信玄の恐るべき策略が蘇っていた。
(これは、信玄が好んで使う『負け戦の計』ではないのか。あえて緒戦で弱みを見せ、敵を油断させ、慢心させたところで、本隊をもって一気に叩き潰す。家康殿は、まんまとその掌の上で踊らされている……!)
源次は、いてもたってもいられず、すぐさま家康へ警告の書状をしたためた。
『――小競り合いでの勝利、誠に慶賀の至りに存じます。されど、虎は、獲物に飛びかかる前、最も無防備な姿を見せるもの。どうか、ご油断めされぬよう』
その書状は、井伊家の使者によって浜松城へと届けられた。
だが、勝利に沸く家康は、その書状を一瞥すると、一笑に付した。
「ふん。井伊の軍師は、相も変わらず用心深いのう」
彼は、傍らに控える酒井忠次に、まるで冗談のように言った。
「戦の機運というものが、分かっておらぬとみえる。この勢いに乗ってこそ、先の敗戦の雪辱を果たせるというものを。石橋を叩いてばかりでは、渡る前に日が暮れてしまうわ」
その言葉は、もはや源次への信頼ではなく、自らの武勇を信じぬ者への、わずかな苛立ちと侮りを含んでいた。
忠次は、その危うさに気づきながらも、主君の昂りを諌める言葉を見つけられずにいた。
季節は、春から夏へと移ろいでいく。
徳川の慢心は深まり、井伊の焦燥は募る。
両家の間には、来るべき危機に対する、致命的なまでの温度差が、明確に生まれ始めていた。
源次は、遠い浜松の空を見上げながら、ただ唇を噛むことしかできなかった。
(このままでは……歴史は、繰り返される)
彼の胸を、どうしようもない無力感が締め付けていた。