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第291節『黄金色の凱旋』

第291節『黄金色の凱旋』

 初冬の空は、どこまでも高く澄み渡っていた。

 浜名湖の湖面は、その冷たい空の色を映して瑠璃色に輝き、吹き渡る風は肌を刺すように冷たい。

 その湖上を、一つの巨大な船団が、威風堂々と東へと進んでいた。

 先頭に立つのは、鹵獲した巨大な安宅船。その最も高いマストには、真新しい井桁の旗が、冬の空気を切り裂くように誇らしげにはためいている。船の数は出陣前より遥かに増え、甲板には鹵獲した財宝や武具が陽の光を浴びて鈍く輝いていた。

 井伊水軍の、凱旋の船旅だった。


 旗艦の甲板では、兵たちが思い思いに故郷への帰還を待ちわびていた。ある者は傷ついた仲間と肩を組み、ある者は故郷の山並みが見えぬかと水平線の彼方を見つめている。先の死闘の緊張は解け、今はただ、無事に生きて帰れることへの安堵と、戦場で張り詰めていた心身が解き放たれたことによる深い疲労が入り混じった、独特の空気が漂っていた。


 源次は、その光景を櫓の上から静かに見下ろしていた。

 彼の隣には、同じく眼下の光景を見つめる中野直之の姿があった。

「……見事な冬晴れよな、源次殿」

 ぽつりと漏らされた言葉に、源次は頷いた。「ええ。井伊谷の里も、今頃は冬支度に追われている頃でしょう」

「うむ。民の笑顔が目に浮かぶようだ」

 二人の間には、もはや身分の隔たりはなく、共に戦い抜いた同志としての穏やかな空気が流れる。

(中野さん……。すっかり、いい相棒になったもんだ)

 源次は、内心で静かに微笑んだ。


 やがて、船団の行く手に、見慣れた湊の姿が見え始めた。

 浜名湖の北岸に位置する、井伊家の玄関口・気賀湊。

 その報せが船団に伝わると、兵たちの間から、抑えきれない歓声が上がった。

「見えたぞ! 気賀の湊だ!」「帰ってきたんだ、俺たちは……!」


 船団が港にその威容を現した瞬間、湊を埋め尽くしていた領民たちから、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。

 港には、陸路で帰還した兵たちや、勝利の報せを聞いて駆けつけた井伊谷の領民たちが、英雄の帰りを一目見ようと、黒山の人だかりを築いていたのだ。

 源次、中野、新太、そして権兵衛。

 井伊家を勝利に導いた四人の将が、船から降り立ち、陸へと足を踏み入れる。

 その瞬間、民衆の熱狂は頂点に達した。


 だが、その熱狂の渦の中で、源次は群衆の中にいる見慣れぬ数人の男たちの存在に気づいた。

 彼らは歓声を上げるでもなく、行商人を装いながらも、その目は笑っていない。ただ冷徹な目で、船団の規模、鹵獲した財宝の量、そして将たちの顔を値踏みするように観察している。その視線は、ただの領民のものではない。


(家康め……。祝いの言葉を寄越す前に、まず自らの目で我らの力を測りに来たか。実に抜け目ない)

 源次は、あえて間者たちの一人と視線を合わせた。そして、何も気づかぬふりをして、隣を歩く中野に話しかける。

「中野殿、ご覧ください。民のこの笑顔こそ、我らが守り抜いた宝にございますな」

 その言葉は、間者たちへの無言のメッセージだった。「我らが戦う理由は、領土や富ではない。この民のためにある」と。

 間者の一人が、源次の意図を悟り、わずかに驚いたように目を逸らした。凱旋の喜びに沸く仲間たちの中で、ただ一人、源次だけが、この勝利がすでに徳川との新たな情報戦の始まりであることを悟り、静かに闘志を燃やす。


 やがて、気賀湊から井伊谷城下へと続く、壮麗な凱旋行列が始まった。

 源次、中野、新太を先頭に、徒歩と馬による兵士たちが続く。鹵獲した財宝を積んだ荷車や、降伏した村櫛党の兵たちもその列に加わっていた。

 その行列が、故郷へと続く街道へと、ゆっくりと、しかし確かな一歩を踏み出した。

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