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第245節『重心と波切』

第245節『重心と波切』

 新太が戦闘部隊の「魂」を鍛え上げている一方で、源次は造船所に籠もり、もう一つの戦いに挑んでいた。それは、船そのものの「身体」を革新する、技術との戦いだった。

 徳川から派遣された棟梁・源爺は、腕は確かだが、その技術はあくまで伝統的な和船の範疇に留まっていた。彼は、井伊の山から切り出された極上の材木を前に、満足げに頷いていた。

「これほどの木材があれば、日の本一の関船が造れる。軍師殿、ご安心くだされ。儂の腕にかかれば、どんな波でも乗り越える丈夫な船を造ってご覧にいれますだ」

 その言葉には、親から子へ、師匠から弟子へと、何世代にもわたって受け継がれてきた技への、絶対的な自信と誇りがこもっていた。


「限界を決めるのはまだ早いですよ、棟梁」

 源次は、その自信を真っ向から受け止め、自らが描いた新たな設計図を広げた。

「私が古い漁師たちの言い伝えで聞いた話なのですが……海の向こうの国では、船を造る際に、ただ軽く浮くように造るのではなく、あえて船底に重い木を一本通し、全体の重心を極端に低くすると聞きます。棟梁、これを我らの船にも応用できないでしょうか」


 その言葉に、源爺の顔から笑みが消えた。

「重心……だと? 軍師殿、それは素人の戯言だ。船というものはな、軽ければ軽いほど速く、波に乗りやすい。わざわざ重くしてどうする。書物の上だけの知識で、我ら船大工の仕事に口を出すものではねえ」

 彼の声には、自らの聖域を土足で踏み荒らされたかのような、鋭い怒りが滲んでいた。


「さらに、船首の形についても、言い伝えには奇妙な記述が」

 源次は、反発を意に介せず、魚の頭のような鋭角の船首の図を描いて見せた。

「この『波切なみきり』の形は、波に乗り上げるのではなく、波を切り裂いて進むためだとありました。水の抵抗が減り、速度が上がると」

「もうよい!」

 源爺は、ついに声を荒げた。「そんな絵空事で、本当に荒波を越えられるとでも思うてか! 儂らは、この手で木を削り、この肌で風を読み、命を懸けて船を造ってきたんだ! 書物の言葉など、机上の空論に過ぎん!」

(やはり、反発は強いか。彼らにとって、このやり方は先祖代々の教えそのもの。それを否定することは、彼らの存在意義を揺るがすことに等しいんだな)


 だが、源次は引かなかった。

「ならば、棟梁。その目で確かめてみてはくれませぬか。この戯言が、本当に戯言で終わるのかどうかを」

 彼は、工房の隅にあった木屑を拾い上げると、小刀で巧みに削り始めた。数刻後、彼の手には、二つの小さな舟の模型が完成していた。


 源次は、その模型を大きな水桶に浮かべた。

 一つは、船底が平たく、船首も丸みを帯びた従来の和船の模型。

 もう一つは、船底に重りの木を取り付け、船首を鋭く尖らせた、源次の考案した模型だった。

 源次は、桶の縁を叩き、水面に横波を起こす。

 従来の模型は、波を受けるたびに大きく傾き、今にも転覆しそうになった。

 だが、低重心構造の模型は違った。波を受けて傾いても、起き上がり小法師のように、すぐさま元の姿勢に戻る。その驚異的な復元力に、船大工たちから「おお…」という声が漏れた。

 次に、源次は二つの模型を並べ、団扇で正面から風を送った。

 従来の模型は、波の抵抗を受けて速度が上がらない。しかし、波切構造の模型は、水を切り裂くように、明らかに速く、滑らかに進んでいく。


「……なっ」

 源爺と船大工たちは、言葉を失った。自分たちの常識が、目の前で覆された瞬間だった。

 その夜、源爺は一人、工房に籠もり、昼間源次が作った模型を、食い入るように見つめていた。

(……ありえん。だが、現実にこの目で見た。あの小さな舟は、確かに揺れに強く、そして速かった。儂が知る船の理とは、全く違う理が、そこにはある。……あの軍師殿は、ただの若造ではない。儂らが知らぬ、新しい『道』を知っているのかもしれん)

 職人としてのプライドと、未知の技術への探求心。その二つが、彼の心で激しくぶつかり合っていた。


 翌朝、彼は興奮した面持ちで源次の元へ駆け込んできた。

「軍師殿……! あんたは、化け物か! あの重心と波切の理屈……本当に、船が……船が生まれ変わるぞ! やってやろうじゃねえか、日の本一揺れねえ、速え船を!」

 職人としての彼の魂が、新しい技術の可能性に、完全に火をつけられた瞬間だった。

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