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第244節『武田の血』

第244節『武田の血』

 海上での模擬戦の日が来た。新太が率いる戦闘部隊と、権兵衛が率いる偵察部隊が、紅白に分かれて湖上で陣形を組む。浜辺では、源次や井伊家の家臣たちが固唾をのんでその様子を見守っていた。これまで個々の訓練を積んできた兵たちが、組織としてどれほど機能するのか。その真価が、今まさに問われようとしていた。


 開始の合図と共に、新太の采配が冴え渡った。

「一番隊、前へ! 敵の先鋒を叩け! 二番隊、三番隊は左右に散開し、鶴翼の陣を組め! 敵を包み込むぞ!」

 声ではなく、旗と太鼓だけで統率された彼の部隊は、まるで一つの生き物のように動く。権兵衛の部隊は、個々の操船技術では勝るものの、その組織的な動きの前に翻弄され、徐々に包囲の輪の中へと追い詰められていく。

「な、なんだあの動きは……」「まるで陸の戦を、そのまま水の上でやっているようだ……」

 浜辺で見ていた中野直之ら陸の将たちも、その異質な戦術に舌を巻いた。


 源次は、その光景を旗艦の上から見つめ、改めて自身の仮説への確信を深めていた。

(すごい……! 新太の奴、完全に覚醒してる! 魚鱗の陣を船の上でやるとか、発想がぶっ飛びすぎだろ! 天才かよ!)

 内心で興奮しながらも、歴史研究家としての彼の脳は、冷静にその采配を分析していた。

(ただ陣形を組むだけじゃない。敵の一部が突出したのを見るや、即座に陣形を変え、その突出部隊だけを切り離して包囲殲滅する。まるで啄木鳥きつつき戦法のようではないか……!)


(井伊の古文書にあった母『伊和』の記録。三国同盟の時期という状況証拠。そして今、目の前で繰り広げられる、この信玄公そのものと言える采配ぶり……。もちろん、本当に血を引いているかなど、証明する術はない。だが、歴史研究家としての俺の勘が、全ての状況証-拠が、一つの答えを指し示している)

 彼は、自らの仮説が真実に極めて近いものであることを、さらに強く確信した。

(これほどの才がありながら、ただ出自のために歴史の影に追いやられ、冷遇され、捨て駒にされる。……なんという理不尽。だが、その理不尽こそが、この男を俺のもとへ導いた。信玄、あんたが生み出した最強の駒は、今や俺の最強の友だ。皮肉なものだな)


 演習は、新太の部隊の圧勝に終わった。

 演習が終わった後、源次は新太の肩を叩いた。「見事な采配だった。その采配ぶり、かの信玄公が乗り移ったかのようだったぞ」

 その言葉に、新太の肩がわずかに強張った。

「……戯言を言うな」

 ぶっきらぼうに返す新太の横顔は、父と噂される男の名を出されたことへの反発と、それを認めざるを得ない自らの血への葛藤で、複雑な影を落としていた。彼は、自らの内に流れるその血を、誰よりも憎み、そして誰よりも意識していたのだ。

「それより、腹が減った。今日の飯はなんだ」

 彼は、話を逸らすようにそう言うと、さっさと兵たちの輪の中へ戻っていった。源次は、その後ろ姿を、少しだけ切ない気持ちで見送った。井伊水軍は、もはや夢物語ではなく、確かな力としてここに存在していた。だが、その力の中心にいる男は、まだ癒えぬ深い傷を抱えていた。

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