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第234節『圧巻の大漁』

第234節『圧巻の大漁』

 網が水面を割った瞬間、浜辺にいた全ての者が、そして湖上で後を追っていた権兵衛たちも、時が止まったかのように動きを止めた。ただ、言葉を失い、目の前で繰り広げられる信じがたい光景を凝視するしかなかった。


 引き上げた網は、もはや網の形を保っていなかった。それは、銀色に輝く巨大な生命の塊だった。見たこともないような大きさのすずきの群れが、網の中で暴れ狂い、その凄まじい勢いで舟が大きく揺れる。

「うおおお! 引き上げろ! 舟に乗せるんだ!」

 源次の号令で、井伊の若者たちが最後の力を振り絞る。彼らの顔には、恐怖と興奮が入り混じった、これまで見せたことのない表情が浮かんでいた。網が舟の上に引きずり上げられた途端、銀色の奔流が甲板にあふれ出した。魚、魚、魚。舟の上は、足の踏み場もないほどに、生命力に満ちた魚で埋め尽くされた。バチバチと甲板を叩く魚の尾の音が、まるで戦の太鼓のように鳴り響く。陽光を浴びて乱舞するその光景は、圧巻の一言だった。


(……やった!)

 源次は、舟べりに手をつき、荒い息を吐きながら、内心で絶叫していた。

(やった、やった、やったぞぉぉぉ! 見たか、権兵衛! これが俺の『潮読み』だ! 賭けは俺の勝ちだ! 直虎様、見ていてくれましたか! 俺、やりましたよ!)

 全身の疲労と、網を引いた腕の痛みも忘れ、ただ純粋な歓喜が、彼の全身を駆け巡った。それは軍師としてではなく、一人の漁師として、己の全てを賭けた勝負に勝ったことへの、魂からのガッツポーズだった。

(……良かった。これで、井伊水軍は、本当の一歩を踏み出せる)


 それは、権兵衛が一日かけて釣り上げた量を、たった一度の網で、しかもそれを遥かに上回る質と量で凌駕する、奇跡としか言いようのない光景だった。

 井伊の若者たちは、自らの手で引き起こした奇跡に、ただ呆然と立ち尽くしていた。「やった……俺たちが……やったんだ……」。彼らの口から、震える声が漏れる。


 浜辺では、新太が、ただ一人、静かに拳を握りしめていた。

「……やりやがった。あの男、本当にやり遂げやがった」

 周囲の漁師たちの嘲笑が、驚愕へ、そして畏怖へと変わっていく様を、彼は肌で感じていた。

「馬鹿な……」「あんな漁、見たことも聞いたこともねえ」「神様か……」

 その囁きを聞きながら、新太の口元には、友への誇りに満ちた笑みが浮かんでいた。


 湖の静寂を破り、浜辺から地鳴りのような歓声が沸き起こった。それはもはや、権兵衛を讃える声ではなかった。自分たちの常識を、経験を、誇りを、根底から覆した未知なる力への、畏怖のこもった叫びだった。漁師たちは、自分たちの神聖な領域である湖が、目の前の若者によって完全に支配される瞬間を目撃したのだ。

 権兵衛の舟の上では、手下たちが言葉もなく立ち尽くし、ただ自分たちの舟の漁獲と、源次の舟にあふれる銀色の宝の山を、信じられないという目で見比べていた。彼らの長年の誇りは、この一瞬で、完璧に打ち砕かれた。

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