第221節『人材集め』
第221節『人材集め』
評定の間で「井伊水軍」創設の第一関門を突破した数日後、源次は約束通り、その計画の根幹をなす人材を集めるため、浜名湖へと向かっていた。秋の日差しは柔らかく、井伊谷の山々は紅葉に染まり始めている。だが、源次の心は穏やかではなかった。供として馬を並べる新太が、訝しげに問いかける。
「源次。本当に漁師どもを兵にするつもりか。戦の経験もねえ連中が、役に立つとは思えんが」
「新太、お前はまだ分かっていない」と源次は静かに返した。「海の戦で重要なのは、槍の腕前だけじゃない。潮を読み、風を読み、波と一体になる心だ。その点において、彼らは我ら山の兵など足元にも及ばぬ、百戦錬磨の強者だ」
その言葉に、新太はぐっと口をつぐんだ。
(何より、俺の推し、直虎様が「海へ出る」と決意してくれたんだ。ここで最高の船乗りたちをスカウトして、最強の船団を作り上げなければ、軍師の名が廃る。そして、完成した船団を見て喜ぶあの人の顔が見たい! その一心だ!)
やがて一行は、浜名湖畔に点在する漁村の一つにたどり着いた。網を繕う老人、浜辺で遊ぶ子供たち。一見、穏やかな村に見える。源次は馬を下り、柔和な笑みを浮かべて村人たちに声をかけた。
「我らは井伊家の者だ。皆に話がある」
その瞬間、村の空気が変わった。老人たちは顔を上げ、その目には明らかな警戒の色が浮かぶ。子供たちは母親の後ろに隠れ、遠巻きにこちらを睨みつけていた。
「井伊の侍様が、こげな貧しい村に何の御用で」
村長と思しき男が、腰をかがめながらも、その声には媚びる響きはなかった。
源次は、この村が水軍創設の最初の試金石になると覚悟を決めた。彼は、井伊水軍がいかに井伊谷の防衛に不可欠であり、ひいては浜名湖の平和に繋がるかを熱弁した。そして、参加する者には兵としての報酬と、漁の権利を保証すると約束した。それは、彼らにとっても悪い話ではないはずだった。
だが、村長の答えは、源次の予想を遥かに超えて、冷ややかだった。
「お侍様の言う『平和』ほど、胡散臭いものはございませんな」
彼は、深く刻まれた顔の皺をさらに深くし、静かに続けた。
「あんたがたの言う『平和』のために、我らはどれだけ血を流せばよいのか。武田が来れば井伊を守れと言い、徳川が来れば徳川に付けと言う。我らにとっての平和とは、ただ一つ。今日の漁が無事に終わり、明日もまた舟を出せること。それだけでございます」
その言葉は、大局的な戦略論など通用しない、日々の暮らしに根差した「浜の理」だった。
「水軍だか何だか知りませんが、それで海が荒れ、漁場が戦場になるのは御免被りたい。お引き取りくだされ。我らは我らのやり方で、この湖と生きていきますので」
源次は、言葉を失った。軍師としての弁舌が、この地に生きる人々の、あまりにシンプルで揺るぎない価値観の前に、いとも容易く弾き返されたのだ。彼は、自分がまだ何も理解していなかったことを痛感した。