第204節『新しい仲間たち』
第204節『新しい仲間たち』
熱狂的な歓声の中、領民たちはふと、井伊の兵の後ろに続く一団の存在に気づいた。見慣れぬ様式の鎧、疲弊しきった顔つき、そして何より、彼らの纏う空気。それは、勝者のそれではなく、全てを失った者たちの悲壮な覚悟だった。彼らが元は武田の兵であることを誰かが囁くと、歓声は止み、代わりに警戒に満ちたざわめきが波のように広がった。
「あれは……武田の者ではないか」「なぜ、あのような者たちが我らの土地に……」
敵意とも恐怖ともつかぬ視線が、彼らに突き刺さる。元武田兵たちは、その視線に耐えるように、ただ俯くしかなかった。先ほどまで感じていた井伊谷の温かい空気は一変し、彼らは再び、自分たちが行き場のない異物であることを痛感させられていた。
その空気を察した弥助が、自ら馬を下りた。彼は兜を脱ぐと、民衆の前に進み出て、泥にまみれた膝をつき、深々と、土に額を擦り付けるほどに頭を下げた。その真摯な姿に、ざわめきが少しだけ収まる。
弥助は顔を上げ、魂を振り絞るように、集まった全ての領民に聞こえるよう、声を張り上げた。
「我らは、武田に見捨てられ、味方に裏切られ、死を待つのみの身でございました! その我らを、中野様と源次殿は、命の危険を顧みず救ってくださった! この御恩、決して忘れません!」
彼の目には涙が浮かんでいた。
「我らに帰る場所はございませぬ! されど、武士としての誇りを捨てることもできませぬ! どうか! この拾っていただいた命、これよりは、我らの槍も、この井伊谷を守る盾となりまする! どうか、お認めくだされ!」
その言葉に嘘はなかった。一度捨てられた命。その命を拾ってくれた者たちと、その者たちが守るこの土地のために戦うという、揺るぎない誓いの言葉だった。彼の後ろで、他の元武田兵たちも次々と馬を下り、同じように泥に膝をついた。
静寂。
誰もが、その覚悟を前にして言葉を失っていた。
やがて、領民の中から一人の老婆が、おずおずと前に進み出た。彼女は、先の戦で息子を亡くしていた。誰もが、彼女が石を投げるのではないかと息を呑んだ。だが、彼女は弥助の前に立つと、皺だらけの手で、懐から取り出した小さな握り飯を差し出した。
「……よう来なさった。腹が減っておろう。息子も、戦場で腹を空かせておったろうから。お食べ」
その一言をきっかけに、凍り付いていた空気が一気に溶けた。
「そうだ!」「もはや敵ではない!」「昨日までのことは水に流そう!」「我らの仲間じゃ!」「ようこそ井伊谷へ!」「頼むぞ!」
警戒は万雷の拍手へと変わり、人々は彼らに水や食料を差し出し始めた。新しい仲間として、彼らが井伊谷に受け入れられた、感動的な瞬間だった。
(弥助さん、ナイスパフォーマンス! いや、パフォーマンスじゃないな。あれは本物の魂の叫びだ。……それにしても、この民の温かさ……)
源次は、その感動的な光景を見守りながら、軍師としてではなく、一人の人間として深く心を揺さぶられていた。
(普通なら、ありえない。この時代の常識では、降兵は奴隷か処刑の対象だ。ましてや、息子を殺されたかもしれない敵兵を、こうも易々と受け入れるなど。これは、ただの人の良さじゃない。この土地に根付いている、揺るぎない『何か』がそうさせているんだ)
彼の視線が、城門の上から静かにこの光景を見守っているであろう、一人の女性の姿を思い描く。
(……そうだ。この民を作り上げたのは、直虎様、あなたなんだ。あなたがこれまで、領民一人ひとりの顔を見て、その声に耳を傾け、共に泥にまみれてきたからだ。領主が民を信じ、民が領主を信じる。そのあなたの『徳』が、この土地の隅々にまで染み渡っているからこそ、民もまた、信じることを選べるんだ。俺の策も、新太の武勇も、全てはこの土壌があったからこそ花開いたに過ぎない。……なんと尊い人だ。あの人は、本当に……)
源次の胸に、推しへの絶大な賛辞と、計り知れないほどの敬愛の念が、熱い奔流となって込み上げてきた。弥助たちは、その温かい歓迎に、ただ涙を流すしかなかった。