第197節『新たな仲間』
第197節『新たな仲間』
浜松城への帰還は、静かなものだった。
源次が率いる部隊が城門をくぐっても、出迎えたのは徳川の数人の見張り役だけだった。勝利の熱狂はない。あるのは、救出された元武田兵たちへ向けられる、好奇と不信が入り混じった冷ややかな視線だけだった。彼らは武装を解かれ、城の一角にある空き倉庫へと案内された。まるで罪人のように。
(まあ、当然の扱いか……)
源次は、その光景を静かに見つめていた。(敵兵を、それも武田の精鋭を城内に入れたんだ。歓迎されるはずがない。本当の戦いは、ここからだ)
源次は休む間もなく軍議の開催を要請した。
評定の間には、徳川家の主だった将たちが顔を揃えていた。その表情は一様に硬い。先の戦での井伊遊撃隊の活躍は誰もが認めるところ。だが、その結果として連れ帰ってきた「手土産」は、彼らにとってあまりに危険で、理解しがたいものだった。
広間の中央には、弥助をはじめとする元武田兵の代表者たちが、静かに膝をついている。その背中には、行き場を失った者たちの悲壮な覚悟が滲んでいた。
重苦しい沈黙の中、弥助が進み出て、家康の前に兜を脱ぎ、深々と頭を下げた。
「徳川様。我らは、武田家に見捨てられました。その我らを、源次殿と新太様は命を賭して救ってくださった。この御恩、決して忘れることはございません」
彼は顔を上げ、決意に満ちた瞳で家康を見据えた。
「もはや武田に帰る場所はありませぬ。どうか、この拾っていただいた命、我らが頭領・新太様と共に、その恩人である源次殿と井伊家のために使わせていただきたく存じます! そして、井伊家が仕える徳川様のために、この槍を振るうことをお許しください!」
その言葉に、他の者たちも一斉に平伏する。それは、敗者の命乞いではなかった。一度は主君に見捨てられ死んだも同然の自分たちが、新たな忠誠を捧げる場所を見つけ、再び武士として生きることを願う、誇り高き誓いであった。
しかし、その光景を徳川の将たちは、険しい表情で見つめていた。
案の定、その空気を裂くように、大久保忠世が立ち上がった。
「お待ちくだされ! 確かに手柄は手柄かもしれぬ! ですが、あの者たちは元武田の兵。つい昨日まで我らに刃を向けていた者たちぞ。**狼の子は、育てても決して犬にはなりませぬ。一度牙を剥いた獣は、腹が減れば再び飼い主に噛みつくもの。**いつ我らに牙を剥くと分からぬ危険分子を、徳川の陣営に、ましてや我らの喉元である井伊家に置くなど、あまりに危険すぎます!」
彼の主張は、勝利に沸く中で、冷静に「未来のリスク」を指摘する、家老としての当然の懸念だった。裏切りが日常茶飯事であるこの乱世において、敵の精鋭を味方に加えるという行為は、自らの懐に刃を招き入れるに等しい、あまりにも甘い判断だと彼は断じたのだ。
「その忠誠、口先だけやもしれぬ! 今すぐ斬り捨てるべきです!」
別の武将からも声が上がる。
源次は、その言葉を聞きながら、内心で頭を抱えていた。
(うわ、出たよ……いきなり「斬り捨てろ」かよ。ひっでえな、人権って概念ゼロかよ、この時代は)
現代人としての倫理観が、思わず悲鳴を上げる。だが、その直後、歴史研究家としての冷徹な思考がそれを上書きした。
(……いや、待て。彼の言ってることは、この時代の常識としては完全に正しいんだよな。捕虜や降将は、労働力として使うか、見せしめに殺すか、それが当たり前。むしろ、生かしておくリスクを考えれば、忠世さんの判断こそが『家老』としては正解だ。……やっかいなことになったな)
座は一転して、救出された兵たちの「処遇」を巡って紛糾し始めた。
弥助たちは、唇を噛みしめ、その罵声をただ耐えるしかなかった。
評定の間は、再び分裂の危機に瀕していた。