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第193節『二つの槍』

第193節『二つの槍』

「聞いたか! 我らの命は、井伊の軍に預けられた! 新太様と共に、この地獄を切り抜けるぞ!」

 弥助の檄に応え、生き残った武田兵たちの目に再び闘志の火が灯った。彼らはもはや捨て駒ではない。新たな活路を見出した、歴戦の強者たちだった。


 その頃、谷底の乱戦の中。

 源次は、自ら刀を振るい敵兵を斬り伏せながらも、その目は常に戦況全体を捉えていた。彼は最前線で武功を稼ぐのではなく、やや後方に位置し、戦の流れが最もよく見える場所で「脳」として機能することを選んだのだ。彼の周りでは、井伊と徳川の若武者たちが壁となり、彼を守っている。

(よし、弥助たちが動いた。これで駒は揃った。……面白い。書物で読んだ戦の定石が、目の前で現実になっていく。歴史研究家としては、最高の論文が書けそうだ)

 どこか他人事のように状況を分析しながらも、彼の脳内では、目の前の戦況が、書物で読んだ数多の戦のパターンと重ね合わされ、冷静な分析対象として処理されていた。彼は即座に次の手を打つ。


 源次は、傍らの旗持ち兵に軍配で合図を送った。旗が大きく振られる。それは、谷の側面で戦う新太と、今まさに戦線に復帰した弥助へ送る、反撃開始の合図だった。

 その神がかり的なまでの迅速な采配に、弥助は息を呑んだ。まるで、自分たちが戦線に復帰するこの瞬間を、寸分違わず予測していたかのようだ。

(あの男……戦場の全てを、その掌の上で転がしているのか……!)

 もはや疑念はない。ただ、畏怖だけがあった。

 隣で新太が、獰猛な笑みを浮かべた。

「聞いたか、弥助。俺の友は、お前たちの力を信じている。その期待に応えられなきゃ、武田の名が廃るぜ」

「……御意!」

 弥助は力強く頷くと、部下たちに新たな命令を下した。「これより我らは、井伊の軍師殿の指揮下に入る! 新太様に後れを取るな! 武田の戦い方を見せてやれ!」


 二つの部隊は、まるで阿吽の呼吸で動き始めた。

 それは、源次が意図した二種類の「槍」による完璧な連携攻撃だった。

 第一の槍――新太が率いる井伊の精鋭部隊。彼の突撃は、敵の分厚い陣形に、深々と突き刺さる一本の楔だった。

 そして、第二の槍――弥助が率いる元武田兵たち。彼らは、新太がこじ開けたその楔の傷口から、まるで奔流のように流れ込んだ。彼らは武田の兵法を知り尽くしている。つまり、敵であるはずの偽装部隊が次にどう動くか、どの陣形を組もうとするかを完璧に予測できるのだ。その思考も、弱点も知り尽くした彼らの攻撃は、敵の体内に侵入し、内側から食い破る毒のように機能した。


 源次の大局的な戦術眼、新太の圧倒的な突破力、そして弥助たちの敵を知り尽くした経験。三つの力が一つになった瞬間、偽装部隊は為す術もなく崩壊していった。

(完璧だ……! 新太が一点を突破し、弥助たちが面で制圧する。この組み合わせは、俺が考えていた以上の破壊力を生んでいる。周りからは俺の手腕に見えるだろうが、やってることは最高の役者に最高の台本を渡しただけ。……まあ、その台本を書いたのは俺だけどな)

 源次は、目の前の勝利に興奮しつつも、その奥で歴史の新たな一ページを目撃する研究者のような冷徹さと、どこか一歩引いたような客観性で、この現象を分析していた。


 丘の上からその全てを見届けた榊原康政は、兜の緒を締め直しながら、畏敬の念を込めて呟いた。

「……源次殿。貴殿は、ただ人を救うだけではない。その場で新たな軍を創り出し、敵を滅するのか。恐ろしいお方だ」

 源次は、その視線に気づくことなく、ただ静かに次の手を打つことだけを考えていた。

(直虎様……見ていてください。あなたの民を守るための、新しい力が、今ここで生まれようとしています)

 戦況は, 完全に連合軍の手に落ちた。だが、手負いの獣が最後の牙を剥く瞬間が、すぐそこまで迫っていた。

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