表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
188/300

第188節『作戦開始』

第188節『作戦開始』

闇夜を切り裂くように、数十の影が遠州の山道を進んでいた。

 月はなく、木々の梢が風に揺れる音だけが、彼らの進む道を示す。源次と新太が率いる、井伊と徳川の若者たちで編成された精鋭部隊。彼らの目的はただ一つ、武田軍によって捨て駒にされ、今まさに死地へと追い込まれている新太のかつての仲間たちを救出すること。


 馬の息遣い、鎧の擦れる微かな音。誰もが口を閉ざし、ただ前方の闇を見据えている。

「……源次殿」

 先頭を進んでいた斥候が、音もなく馬を寄せてきた。その声は、夜気以上に冷たく張り詰めている。

「申し上げます。前方の谷間に、例の部隊を確認。直虎様からの報せ通り、徳川の旗を掲げた武田の別働隊が、殿軍部隊を包囲しております」

 部隊に緊張が走った。

「……やはり、罠だったか」

 新太が、地を這うような低い声で呟いた。直虎からの密書は、敵が徳川軍に偽装していること、そしてそれが我ら遊撃隊をおびき出すための罠である可能性までをも示唆していた。彼らは全てを知った上で、この死地へと足を踏み入れたのだ。


 源次は馬を止め、丘の稜線から谷間を見下ろした。松明の光が、点々と闇に浮かんでいる。その光の配置は、獲物を逃がすまいと、確実に仕留めるための包囲網を築いていた。

 谷底では、捨て駒にされた部隊が、必死の抵抗を続けていた。

「なぜだ! 徳川の追撃にしては執拗すぎる! こ奴ら、我らを逃がす気がないぞ!」

 彼らは敵を「本物の徳川軍」だと信じ込んでいた。だが、その動きが単なる追撃ではなく、自分たちを完全に包囲殲滅しようとする異常なまでの殺意に満ちていることに気づき、混乱と絶望の淵に立たされていた。


 一方、その彼らを包囲する偽装部隊の指揮官は、苛立ちを隠せずにいた。

(忌々しい……! 捨て駒どもが、予想以上に粘りおるわ。だが、それよりも……なぜ来ない!? 例の鼠どもは、この獲物に気づかぬのか!)

 彼の真の目的は、この捨て駒を餌に、神出鬼没の遊撃隊をおびき寄せ、叩き潰すことだった。だが、待てど暮らせど、その姿は現れない。

「……ええい、もう待てぬ! 鼠が来ぬなら来ぬでよい! まずは目の前の裏切り者どもを始末する! 全軍、かかれぃ!」

 しびれを切らした指揮官の号令一下、偽装部隊はついに捨て駒部隊への総攻撃を開始した。鬨の声と刃の交わる音が、一斉に谷間に響き渡る。


 その瞬間こそ、源次が待ち望んでいた「時」だった。

「……喰いついたな」

 源次の口元に、冷徹な笑みが浮かんだ。

(罠を仕掛けたつもりの狩人が、目の前の獲物に完全に気を取られた。油断しているのは、お前たちの方だ!)

 彼は新太へと視線を送った。新太の目は、闇の中で獣のように爛々と光っている。その手は、槍の柄を強く握りしめていた。

「ああ。友が、死地で待っている」


 二人の視線の先、谷間では、総攻撃を受けた新太のかつての仲間たちが、なおも鉄壁の円陣を組んで抵抗を続けていた。だが、多勢に無勢。矢は尽きかけ、負傷者は増え、その陣形が崩れるのはもはや時間の問題だった。


「……今だ」

 源次は、無言で右手を振り下ろした。

 それが、作戦開始の合図だった。

 隣で身を伏せていた新太が、抑えきれぬ闘志を込めて、獣のように低く咆哮した。

「行くぞ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ