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第150節『小さな一撃』

第150節『小さな一撃』

 東の空が淡く白み始めた瞬間、源次は鳥の鳴き声を模した笛を短く吹いた。

 その音は、夜の静寂を裂く鋭い合図だった。

 崖の上、息を殺していた弓兵たちが一斉に火矢を放つ。放物線を描いた矢は、油断しきった小荷駄隊の米俵や荷駄に突き刺さり、瞬く間に炎が上がった。

「燃えろ……!」

 源次は目を細め、炎の軌跡を追う。

 パチッ、パチッ、と米俵が弾ける音、兵士の慌てた足音、そして何が起きたか理解できぬ驚きの叫びが谷にこだました。

(よし、第一波は完璧だ! 次は新太の突入!)


 下方では、狼狽する武田兵が右往左往し、混乱の渦に呑まれている。

 その渦の中心へ向かって、新太は崖を駆け下りた。

「かかれぇ!」

 轟く咆哮と共に、彼の槍が朝靄を切り裂く。その後に続く遊撃隊も一糸乱れず、計算通りに動いた。元武田兵たちも、新太の号令に応え、躊躇なくかつての仲間の陣を攻める。

 小荷駄隊の隊長は、混乱の中で槍を構える間もなく討ち取られた。指揮系統は完全に破壊され、残る護衛兵は赤子の手をひねるように倒されていく。

(すげえ……! 新太、まさに鬼神だ! 訓練通り、兵士たちも完璧に動けている!)

 源次は崖の上から、火を放つ組、馬を逃がす組へと次々に指示を送る。馬の縄が切られ、驚いた馬たちが嘶きながら谷間を駆ける。焦げた藁の匂いと、血の鉄臭さが混じり合い、風に乗って崖の上まで届いた。


(すげえ! 新太、強すぎ! まるで無双ゲーの主人公じゃん! カッコよすぎる! 作戦も完璧にハマってる! 俺って天才か!?)

 源次の胸に高揚感が押し寄せる。だが、同時に仲間が無事かという不安も脳裏をよぎり、緊張の糸は張りつめたままだった。

 数分のうちに火は谷全体に広がり、米俵と荷駄が炎に包まれる。

(やった…! これで武田の進軍を少しは遅らせられる。この時代の戦は、兵站こそが命綱だ。食うものがなければ、どれほどの大軍もただの烏合の衆になる。ましてや武田軍は、信玄公の完璧な補給計画の上に成り立つ精密機械。その歯車の一つを、俺たちが確かに砕いたんだ。この小さな一撃の積み重ねが、必ず直虎様を守る力になる!)


 源次は法螺貝を取り、撤退の合図を吹き鳴らした。

 谷底で槍を振るっていた新太は、その音に瞬時に反応し、隊列を整えて山道へと駆け戻る。火の熱風と煙の中、部隊はまるで幻のように姿を消した。

 武田の救援部隊が谷に駆けつけた時、そこにあったのは、燃え盛る荷駄、切り裂かれた米俵、そして数名の戦死者のみ。襲撃者の姿はどこにもなかった。


 源次は崖の上で深く息をつき、静かに夜明けの空を見上げた。「……完璧だ」

 隣に、新太が血と泥にまみれた姿で立った。槍を地に突き立て、荒い息を整えている。その瞳はまだ獲物を狙う狼のように鋭いが、口元には確かな満足感が浮かんでいた。彼は、槍の石突で軽く地面を突きながら、源次にだけ聞こえる声で言った。

「……悪くねえ気分だ。お前の頭脳と、俺の槍。案外、いい組み合わせかもしれんな」

 そのぶっきらぼうな言葉には、紛れもない信頼の色が宿っていた。

 源次は、初めて彼の前で軍師の仮面を外し、心の底から笑った。まるで、昔からの相棒に語りかけるように。

「ああ。違いない。俺たち二人なら、武田の大軍だろうと喰い破れるさ」


 短い言葉の応酬。だが、その一瞬で二人の関係は確かに、そして決定的に変わった。もはや降将と軍師ではない。互いの背中を預けられる、唯一無二の「共闘者」へ。谷に広がる炎と煙の中、歴史には決して記されることのない新たな英雄譚の序章が、静かに、しかし固く結ばれたのだった。

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