第82話 ガダルカナル島撤収完了
「急げぇ! 二水戦と駆逐隊の奮戦を無駄にするなぁ!」
昨夜の大夜戦からソロモン諸島に一時的な空白が生じている。日米海軍が激突した結果は悲惨を極めた。日本海軍は軽巡洋艦1隻と駆逐艦数隻が沈没して残存艦も中破から小破と無傷はない。米海軍はノーザンプトンが沈没して駆逐艦が壊滅し、ワシントンが大破、ノースカロライナが中破、サウスダコタが損害微小と判定された。
これだけを見れば日本海軍の勝利だろうが現場の人間はいたたまれない。ソロモン諸島は一夜にして地獄と化した。今も艦艇の残骸や冷たい身体が漂流しているが回収する暇はないのである。日本海軍の別働隊は一時的な空白を余すところなくガダルカナル島守備隊の撤収に活用した。米艦隊が壊滅すれど基地航空隊は健在である。B-17かB-24の重爆が飛来する前に全員の収容を完了しなければならなかった。
「この間も連合艦隊は悠長にミッドウェー島を爆撃している。アホじゃありませんか」
「今だけだよ」
「今だけをご容赦ください」
「田中さんも同じ気持ちだろうね」
木村少将は機を見るに敏である。昨夜の海戦結果は詳細を知らされていないにもかかわらずガダルカナル島突入を指示した。水雷戦隊から駆逐艦を割いて浅瀬まで進出させると機雷の有無を確認する。米軍は物真似と言わんばかり爆撃機から機雷を投下した。日本軍の輸送を妨害する意趣返しだろうか。機雷は敷設されていないことを確認した後は輸送船が珊瑚礁などに座礁しないよう誘導した。
ガダルカナル島西端部の砂浜に輸送船は着岸する。戦時標準設計の輸送船は艦首(艇首)を渡し板に変えた。大発を用いることが一般的だが何よりも時短を意識する。駆逐艦は少し離れたところで警戒中だが要請があれば傷病兵を収容した。艦内で一定程度の治療を行う手筈を整えている。所詮は駆逐艦のため限界があれど弾薬庫を空けてまで確保した。本格的な治療が病院船と合流するか泊地に帰投するかまでのために精一杯を志す。木村少将が座乗する旗艦の軽巡洋艦も守備隊を収容するつもりだ。
木村少将は出撃前から総員にガダルカナル島の激戦を理解することを口酸っぱく言っている。実質的に孤立無援の中で米軍が圧倒的な数量と火力を押し立てようと退かなかった。飛行場を最後まで死守して最期は自爆を以て幕を引き、ガダルカナル島西端部まで追い詰められようと、ゲリラ戦を展開して消耗を強いている。
「なんだ?」
「これは軍歌です。陸軍の『歩兵の本領』が聞こえます」
「なんと誉ある。これはしてやられた。最大限の敬意を示せ。無礼を働いてはならん」
島の方から勇ましい軍歌が聞こえた。
~砂浜~
輸送船の到着を確認してから守備隊生存兵は下山を開始する。
「万朶の桜か襟の色 花は隅田に嵐吹く 大和男子生まれなば 散兵線の花と散れ…」
「あれだけ裸でもよいと言ったのだがな」
水偵は深夜に僅かな灯りを頼りにして金属製の筒を投下した。ガダルカナル島撤収に際する連絡事項を纏めた書簡が入っている。とにかく身軽で来るように伝達した。くれぐれも「陛下より賜りし武器を捨てるなんてとは考えるな」という強い調子で綴られる。小銃も捨てるように言ったのに欠片も従ってくれなかった。それも玉砕寸前に追い詰められたとは思えない程の正装で驚きを隠せない。彼らは出来る限りの清潔を心がけて泥と土に砂を落とした。シャツは襟を正している。頭髪を整えてから行軍した。
海軍の決死隊が米艦隊と壮絶な殴り合いを繰り広げて脅威を取り除く。その上で自分達のために用意された収容部隊が突入を果たした。はっきり言って自分達は雑兵に等しいが海軍さんは救出するために多大な犠牲を払っている。海軍の懸命に無礼は払えないと最大限の礼節を返すために歩兵の本領を歌い上げた。仮に米軍に届いても構わない。万が一の際は切り込みを仕掛けて艦隊が脱出する時間を稼ぐのだ。
「大場隊総員47名…ここにおります」
「ご苦労様でした。傷病者を優先して収容いたします」
「よろしくお願いいたします。私は最後で構いません。部下達を先に…」
大場隊長の人間力に感嘆せざるを得ないが時間は限られている。47名の中で負傷している者は最優先と収容していった。応急手当を心得る者は負傷者を称賛しながら即席の処置を施す。大場隊長は比較的に健康らしいがやせ細ってしまった。先に食事を取ってほしいと思うも丁重に断られる。自分は最後で良いから部下を優先してほしいと懇願を返された。自分は最後まで残り続けると言い出した始末であるが、木村少将が許すはずもなく、半ば強制的に旗艦へ召し上げられる。
全員が敬礼で迎えた。自身よりも階位が上であるはずの者まで最大の敬意を向ける。これには背筋が自然にピシッと伸びた。艦橋へ上がる途中の段差で転びそうになると案内役の士官が支えてくれる。自身の不甲斐なさを恥じた。士官は朗らかに笑って「これが仕事なので」と庇う。道中の扉は逐一と開けてくれるなどの至れり尽くせりの対応の数々を申し訳なく思った。大場隊長は案内された先で「ひげのショーフク」こと木村少将と面会する。
「海軍少将の木村昌福です。ガダルカナル島の孤軍奮闘に最大の敬意を表します」
「大場栄です。なんとお礼を申し上げてよいか」
「大場隊総員47名は無事に収容を完了しました。我々は輸送船を連れてラバウル島を目指します」
「それではラバウル島までお願いします」
輸送船は渡し板を上げて直ぐに砂浜を離れた。約1時間という短時間で収容を終えたことは各員の努力に依る。大場隊は最終的に小銃と弾薬を砂浜に投棄したが最後の最後に一発だけを放った。ガダルカナル島で散った日本軍兵士と連合国軍兵士に弔意を示す。簡素な墓標を立てたいところだが重爆がいつ訪れるかわからない以上は断念した。
「私は海軍の者ですから言えることではありません。しかし、ここで申し上げさせていただきます。大場隊長、ガダルカナル島の奮戦は誠に見事でありました。本当にありがとうございました」
「そん…」
「ありがとうございました!」
「全員敬礼!」
まさかの光景に感涙が溢れ出る。木村少将が海軍の良識派であることは有名でも物事には限度が存在した。大前提として大場隊長は陸軍の下っ端に括られる。海軍の少将に迎えられる時点で分不相応が過ぎた。木村少将が頭を下げて謝意を示すことは異常事態だが「海軍のプライドだ何だ」は関係ないと一刀両断する。
海軍少将以下が一介の陸軍兵士に対して海軍式敬礼を見せた。これを厳密には誤りと指摘することは無粋だろう。彼らが人間として大場隊長に謝意や敬意を向けていることを汲み取るべきだ。大場隊長は大粒の涙を数滴も溢したが直ぐに立て直して陸軍仕込の敬礼を返す。
「ラバウル島へ向けて出発いたします。まずは食事でもいかがですか」
「いえ、皆様の食料を奪うわけには」
「握り飯を拵えるんだ。塩を利かせろ。海軍航空爆弾だぞ!」
「只今用意します!」
「腹が減っては戦どころか何もできません。今は自分を休めてください」
どれだけ感情が拒もうとも本能は正直で腹がグウと鳴ってしまった。ガダルカナル島では僅かな携行糧秣をチビチビと食したらしい。米兵が遺した携行糧秣がご馳走な程までに思えた。木村少将の計らいで塩のきいた握り飯が拵えられる。駆逐艦のため豪勢な食事は用意できないが握り飯こそ最高の糧食だった。
「大場栄、ガダルカナル島より撤収いたします!」
続く




