第70話 ソロモン諸島は捨てた
「そろそろだな」
ブーゲンビル島はガダルカナル島撤退作戦ことケ号作戦において中継局の機能が与えられた。ブーゲンビル島で撤収部隊を整理するとラバウルやニューギニア、トラック泊地へ振り分ける。先日までは大忙しで整理整頓に追われたが最後の特急便を捌くと一転して閑古鳥が鳴いた。
「空母機動部隊がミッドウェーに向かうだと! ふざけるな!」
「まぁまぁ…」
「艦長に世話を焼かせるな。鎮静剤を用意しておけ」
いつ米軍を主とした連合国軍が襲来するか分からない。高速輸送艦と旧式駆逐艦が去った後も水雷戦隊が警戒を命ぜられた。ソロモン諸島を捨て駒に一挙撃滅を図ると雖も水雷戦隊だけは不安である。水雷戦隊の司令官は基地航空隊の支援を頑なに要求して譲らなかった。ソロモン諸島への出撃を見合わせるまで言い出す始末で陸軍航空隊がいち早く航空支援を約束する。海軍ラバウル航空隊も渋々と抽出を認めた。ソロモン諸島の早期警戒は完成をこぎつける。
「彼の言う事も理解できます。連合艦隊はミッドウェーに固執しました。空母機動部隊の回復ないし補充を待つと言いますが」
「ソロモン諸島は陸軍に丸投げすると言わんばかりではありませんか。二水戦だけでどうにかなる戦力ではない。せめて、戦艦1隻でも連れてくることはできませんか」
「山本長官の腹中は探れないよ。我々は今ある駒で戦わねばならん。まだ幸いなのは諸島に罠が敷き詰められた。友軍潜水艦が機雷を敷設した後も航路封鎖に従事している」
「敵戦艦を雷撃で沈めよと言いますか…」
「まず無茶なことです。酸素魚雷は強力ですが当たらなければ意味が無い」
「敵戦艦へ肉迫する前に護衛艦隊を撃破しなければならず」
「わかった、わかった。私の名前で増援を求めるとしよう。戦艦とは言わずとも巡洋艦を派遣してもらう」
「お願いします」
第二水雷戦隊が警戒任務に従事した。これの田中頼三少将は部下の突き上げを受け止める。最前線に無理解な連合艦隊を筆頭に上層部を批判する腹積もりだ。彼は良き理解者の草鹿中将を介して意見具申を多量に含む要望書を提出する。普通は無言で握り潰されるところ回答は直ぐに行動で示された。これの二週間後にラバウルに増援が到着したと聞いて驚かざるを得ない。
田中少将はラバウルのニューブリテン島まで水雷艇に便乗して挨拶と調整の場に赴いた。ブーゲンビル島よりもニューブリテン島の方が遥かに安全である。栄光のラバウル航空隊がB-17もB-24も片っ端から撃墜した。自軍の被害も無視できる範囲でない。いつの間にか地獄の戦場と呼ばれるに至った。二水戦が受け取った増援は落胆しか得られない。巡洋艦は特徴的な三本煙突を誇示した。己が老齢艦であることをこれでもかと主張している。田中少将は巡洋艦の識別を1秒もかからずに完了するも落胆の色はおくびにも出さなかった。
「駆逐隊の作間です。私が巡洋艦も率いています」
「重雷装の軽巡洋艦に指揮権は置けなかった。懸命な判断である」
「この程度の増援です。精一杯戦わせていただきます」
「君の見敵必殺の精神は聞き及んでいる」
「はい。敵戦艦でも何でも平らげましょう」
球磨型軽巡洋艦の『北上』と『大井』が到着する。日本海軍の5,500t級軽巡の第一グループは総じて老齢が否めなかった。最近は兵装を減らして輸送作戦に従事したり、爆雷を満載して対潜掃討艦に改造されたり、等々と第一線から退いて新たな人生を送っている。北上と大井も例に漏れず高速輸送艦に転用される予定が存在した。日本海軍の誉れと多量の魚雷発射管を装備する。いわゆる重雷装巡洋艦に改造する計画が持ち上がった。
日本海軍が実用化に成功した高威力で超射程、高雷速の酸素魚雷を切り札にする。61cm酸素魚雷発射管を多量に装備することで圧倒的な雷撃能力を得た。艦隊決戦が始まる前にアウトレンジ雷撃を仕掛けて大混乱に陥れる。あまりにも杜撰な思想でピーキーと言おうが作ってしまったものは仕方なく、ソロモン諸島を捨て駒にする作戦にちょうど良いと見て、仮に失われても痛くない老齢艦の投入先と認められてしまった。北上と大井だけで向かわせるわけにもいかない。一個駆逐隊を本隊と称して重雷装巡洋艦を与えた。
これで第二水雷戦隊の要求に応えてやろう。
「立ち話は何だから建物に入ろう。会議室を抑えている」
「お心遣いありがとうございます」
「作間艦長の綾波は鬼神と言われているか。私と対照的だな」
「そのようなことは…」
駆逐隊が本当の増援と称して差し支えなかった。彼らは数多の海戦に参加して連合国の艦隊を滅多打ちにする。格上の巡洋艦が相手でも積極的に砲撃したかと思えば、潜水艦が接近してくれば砲撃を始めて撃沈し、敵商船も容赦なく沈めて回った。その姿は鬼神と恐れられる。
二水戦は一気に厚みを増した格好でも実際は体の良い処分が見え隠れした。部下達は普段の冷遇っぷりに燻る。今日の出来事で爆発してもおかしくないところまで来ていた。彼らの怒りは「ソロモンに迫る敵軍にぶつけよ」と説得する。
何てことは無い光景だろうが闘将と闘将がタッグを組んだ。作間中佐は積極的な攻撃を掲げて好機を一寸も見逃さない。田中少将は消極的で悲観主義者と言われるが、無謀を冷静に見極めて絶好機を正確に衝くことに秀でて、二水戦の兵士たちは心から慕っていた。
「サボ島を隠れ蓑にしたい。ツラギ島は完全に放棄した。ガダルカナル島に陸軍さんと特別陸戦隊が展開している」
「本当に残っているのですか。俄かに信じがたいことであり…」
「鼠急行は何時でも行えるんだ。最後の防衛戦である砂浜に駆逐艦を突入させる手筈を組んでいる。したがって、我々の仕事は敵艦隊を撃滅することではない」
「友軍の不可逆的な撤退を支援すること」
ラバウル海軍司令部の会議室を貸切る。南太平洋方面司令官の草鹿中将を交えるべきことでも敢えてシャットアウトした。草鹿中将は穏健派で陸軍の今村大将と並ぶ人格者である。連合艦隊に平気な顔で噛み付いたかと思えば石原莞爾にも食って掛かった。何か面倒なことになっては好き勝手に動けない。現場単位の打ち合わせと隠し通した。
第二水雷戦隊はソロモン諸島で米艦隊を待ち伏せるが、あくまでも、ガダルカナル島に残る味方の最終的な撤退を支援する。仮に制海権を喪失しても一時的な奪取は十分に可能と判断した。ソロモン諸島撤退作戦に関するピストン輸送は『鼠急行』と呼称する。現在もニューブリテン島に高速輸送艦と駆逐艦が待機して何時でも突入できる用意を整えた。
「敵艦隊は少なめに見積もっても新鋭戦艦が4隻らしい。練度は我が方が圧倒したが、大口径の主砲に分厚い装甲は侮れず、優秀な電探を装備していると情報を得た」
「基地航空隊の支援には期待できませんか?」
「制空に関しては万全を期した」
「なるほど、わかりました」
敵艦隊の大枠は潜水艦と偵察機の情報収集から明らかになっている。今日も陸軍と海軍の陸上偵察機が全方位に飛び回った。敵艦隊の主力は新鋭戦艦4隻に収束している。ノースカロライナ級とサウスダコタ級の各2隻ずつと予想した。米海軍も一朝一夕で戦艦を揃えることもできない。これを実際に動かす兵士の習熟度もゲームのようにとんとん拍子で向上しなかった。
「そこは改めて今村大将や草鹿さんに問い合わせる。すまない」
「いえ、最悪は単独で突っ込みます」
なんとも心無き者はこのように吐き捨てる。
「ソロモン諸島は捨てた」
続く




