第67話 ガダルカナル島撤収始め
「我々はラバウルに退避するが…」
「殿は任せてください。自走砲で食い止めてみせます」
「潜水艦のお世話になります。気にしないでください」
日本軍はガダルカナル島とツラギ島を筆頭にソロモン諸島を制圧した。彼らは1年も経たずに撤収を開始する。ツラギ島には有力な水上機基地を造設し、ガダルカナル島には飛行場を建設し、ソロモン諸島を米豪遮断作戦の前線基地に変えた。石原莞爾の敷いた罠である。連合軍は航空偵察を繰り返せど兆候を掴めずにいた。ソロモン諸島の奪取を懸命に考えている。
「アメさんも案山子を人間と見誤り、木々で組んだ火砲を恐れ、無駄な徒労を繰り返すでしょう。我ながら立派に作り上げました」
「すまない。ラバウルから必ず支援に行くから死ぬなよ」
「その時はその時です。お国のために」
ガダルカナル島では至る所に案山子が見受けられた。島の人口よりも遥かに多いが、非常に精巧に作られているため、連合軍の航空偵察は大兵力と誤認する。これに加えて現地調達した木々の木材で組まれたハリボテが敷き詰められた。日本軍の擬装技術は世界最高峰を誇る。工兵だけでなく歩兵も参加してハリボテを作り続けた。金属やコンクリートを使わない。ハリボテは資材を現地調達して沿岸砲や高射砲、機関銃、トーチカを作り上げた。
完全な無人になっては怪しまれた末に罠と看破されてしまう。有人のエッセンスを加えなければならず、将兵が続々と撤収する中で居残りの殿部隊が用意されるが、誰もが後ろ髪を引かれた。殿部隊を見捨てるわけにはいかない。石原莞爾が直々に命じて最後の撤収に陸軍特殊潜航艇(丸湯号)を調達した。ラバウルやラエ、サラモアから航空機による制空と迎撃、空輸など支援を整える。武器と弾薬、食料、医薬品は潤沢に残した。
米軍上陸時に少しでも時間を稼ぎたい。それ故に歩兵ではなく機甲戦力を殿部隊に据えた。旧式化したと雖も信頼性の高い軽戦車、大火力の榴弾砲を振り上げる自走砲、重機関銃や迫撃砲を備えた即席の現地改造車両も出番を待つ。
「なに言ってんだ。俺らも残る」
「なんで希望して残ったんだ。ここに飛行機は要らない」
「厳しいことを言うやがる。同じ島の上で飯を食ってんだからな」
「どうしても理解できん」
「俺たちはガ島に墓標を立てることに決めた。どうせ内地には帰れない。帰ったところで家も無いしな」
「すまん」
「飛行機が無くなれば歩兵に変わる。その時は温かく迎え入れてくれよ」
ガダルカナル島は陸軍がメインと展開した。初上陸から海軍陸戦隊も少数ながら駐留する。陸軍は海軍と協議の上で戦略的な転進に合意した。満州型海防戦艦や水雷戦隊の護衛を受けて高速輸送艦がピストン輸送に精を出す。飛行場の航空隊は自力で移動できるため、燃料を満載にしてラバウルやラエ、サラモアを中継した。基地航空隊は各々の基地へ帰路を急いでいる。
ガダルカナル島航空隊も例外でなかった。本来は飛行場を空っぽにするところ、居残りの志願者が続出し、軍の上層部は困り果てる。一兵でも一機でも多く残して他の戦線へ転用する予定が狂った。志願が連続して全軍の残留が決まっては堪らない。志願者たちの意思を最大限に尊重して他に回るように説得するも全く聞かなかった。まさに進退が窮まった際は潜水艦に便乗して退避することを妥協点に定める。新鋭機を返却する代替に旧式機を運用することで解決した。ガダルカナル島で新鋭機を使い潰されては勿体ない。倉庫で埃を被っている旧式化した航空機を体よく効率的に処分した。
飛行場に木組みのダミーの航空機が並んでいる。飛行場から外れた草原に由緒正しき軍用機が草むらに隠れた。ガダルカナル島の海軍航空隊は大半がラバウルに退避する。居残り組こと志願者からなる挺身隊は零戦中期型を返却した代替に九五式艦上戦闘機を貰った。誰でも動かせる機体として九六式艦上爆撃機と艦上攻撃機が送られる。それぞれが使用不可に陥っても柔軟に乗り換えた。別に失われても痛くない旧式機のために大放出する。
「噂によればツラギ島の水上機部隊も残るようだ。飛行艇は全機が兵員輸送を兼ねて退避するらしい」
「水上機基地も破壊するんじゃないのか?」
「水上機の運用は陸上機と艦載機よりも遥かに簡単だ。適当な岩場に燃料缶を隠していれば即席の拠点が完成する」
「水面さえあれば動けるんだ。ツラギ島だけじゃない。島々のありとあらゆる所に隠しているとか」
「いざという時は拾ってもらえるか」
ツラギ島も撤収を急いでいた。ガダルカナル島同様に居残りが発生する。ツラギ島は水上機基地と機能して飛行艇と水偵が飛び立った。敵艦隊の捜索やニューカレドニアの強行偵察、等々の地味な仕事を着実にこなしている。最近は飛行艇も退避中で将兵を乗せる兵員輸送を兼ねた。
ツラギ島の居残り組は水上戦闘機と水上偵察機、水上観測機を駆る。ガダルカナル島に迫る敵軍を奇襲する気概を有した。仮に基地が完膚なきまで破壊されても構わない。島の岩場を掘削して穴を作ると燃料缶と弾薬、食料を隠した。敵から逃れると着水してどこかの秘密基地で生き延びる。
朗らかに過ごしていると敵襲を告げるサイレンが響いた。前線監視所か哨戒機が肉眼で敵軍の爆撃隊を認める。主力級の戦闘機は撤収の引っ越しを終えたばかり、旧式化した戦闘機をくだらない迎撃戦に投入することはいただけず、どうせダミーのハリボテに爆弾を落とすんだ。
「退避ぃ! 退避ぃ!」
「武器は捨て置け! 命あってこそ!」
「戦陣訓の改訂から変わりましたなぁ。今は命を大事にして無駄死にを最も忌み嫌う」
「それが正解なのですよ。あの石原莞爾が教えてくれるとは予想していなかったがね」
「えぇ、えぇ」
軍人生活の長い中年たちは爆撃から逃れる。避難壕の中で思想の変遷を改めて実感した。昔は無茶苦茶を犯すことが当然で命知らずの抵抗を行う。各自は如何なる状況でも武器を携行しなければならなかった。天皇陛下より賜りし火器を無駄にするならば自ら死することが推奨される。
石原莞爾は昔の妄言と一刀両断した。人命を重視する大改訂を実施する。彼は何としても生きることを厳命した。命が尽きるまで抵抗を続けるように綴る。今回のガダルカナル島とツラギ島の撤収に際して武器弾薬は可能な限りで運搬させるが、現場指揮官の判断を尊重し、敵軍に鹵獲されない工作を施すことを条件に投棄を黙認した。したがって、居残りの殿部隊は進退窮まった時に自爆や特別攻撃を考えている。
「ドーン! ドーン! なんてね」
「アメリカさんの量は物凄い。大型爆弾を惜しまずに投下できる」
「おかげで不発弾がたっぷりと手に入った。不発弾は埋めて地雷に変えましょう」
「信管の取り扱いにも慣れました。意外と爆発しない」
「そうそう。おっかなびっくりの方がトチるんですわ」
敵の重爆撃機が爆弾の雨を降らした。どれもこれもハリボテを吹っ飛ばすばかり。避難壕は至近弾すら被らずに済んだ。擬装は見かけ倒しでないことを知る。各国が挙って腕を磨く理由がわかった。小一時間の爆撃が終わると人力で最低限の復旧作業を開始する。アメリカらしい爆撃の副作用として不発弾がゴロゴロと転がった。いかにアメリカの工業力が高いと雖も不良品は生じる。現地組は「これ幸い」とせっせと回収した。空白地帯などに埋め直すことで地雷の不足を埋める。航空爆弾を丸ごと流用しているため、歩兵ならば小隊単位でふっ飛ばすどころか、戦車すら歯牙にもかけなかった。
「皆で骨を埋めましょうや。墓標は要りません。我々は死にました」
「家族には別れの手紙を出しませんと。誰かに集めましょう」
「それが良い」
続く