第128話 帝国の剣作戦
「何かがおかしい。なぜ敵機は空母を狙わない。スプルーアンス提督が無事なのはありがたいがおかしい」
レイモンド・スプルーアンスが指揮を執る。空母9隻を基幹に戦艦複数隻の大艦隊はトラック島空襲の先手を取ったが、日本軍の反撃は素早く、敵空母を発艦したと思われる艦載機が襲来した。レーダーは故障か作動せず早期迎撃の航空管制は機能せず肉眼でアナログチックな防空戦闘を展開する。
そのスプルーアンス本人は頑強な戦艦に座乗して空母部隊から離れていた。戦艦部隊は日本海軍の別働隊に備える。連合艦隊を筆頭に戦艦が出現する可能性が高いと見積もられた。空母と行動を共にして鉄壁の防空を敷きたいが、仮に戦艦同士の砲撃戦となれば空母は邪魔であり、やむなく分離せざるを得ない。
したがって、空母部隊は臨時的にマーク・ミッチャーが代行した。彼は高速空母機動部隊を率いるに最適な叩き上げである。それ故に敵機の攻撃を不気味に思うことができた。敵機は空母を狙わずに外縁部の駆逐艦と巡洋艦を集中して狙っている。日本軍はいきなり空母を狙わずに外堀を埋めてくると周知されていた。しかし、空母が9隻も健在であり、トラック島が狙われている。
「こういう時は嵐が来るんだ…」
「ら、雷跡! 数えきれない!」
「敵潜水艦を発見!」
「ダメだ!」
「多すぎる!」
「これが狙いか! 潜水艦の包囲と雷撃!」
帝国の剣作戦だ。
トラック島の防衛に基地航空隊と所属する艦船だけでなく潜水艦も派遣される。しかし、それは艦隊型や巡航型など大型潜水艦が占めた。中型のロ号も確認できるが米本土や豪州の遮断から大多数を割くことは出来ない。したがって、短期間で数量を揃えることができ、深海に潜む隠密性を有し、操縦も簡単な小型潜航艇を開発した。これに学徒兵を載せると決死隊と敵艦隊の包囲に向かわせる。潜水艦を母艦とせずにトラック島や周辺の島々から発進すれば無事帰還の可能性も出てきた。
とはいえ、学徒兵を使い捨てるような運用に批判が相次ぐ。
「故郷の兄弟姉妹を守れるなら本望だ」
「一人乗りじゃないのが悔やまれるよ」
「へへっ腐れ縁だ。地獄まで行こうや」
特殊潜航艇の艦橋は窮屈だ。二人の影が薄暗い計器の光で浮かび上がる。名ばかりの艦長は平静を装いながらも掌の震えを抑えられなかった。副長の友は黙って操舵輪に手を置いている。もはや水圧だけが彼らの友なのだ。
特殊潜航艇は建造期間を短縮すべく魚雷を外部に設ける。これにより大幅な簡略化に成功すると内部環境の改善に着手した。酸素タンクを増設したり、バッテリーのガス発生を抑えたり、等々より長時間の運用に耐えられるよう努める。万が一にも事故や故障で戦わずして失われる場合は自決用の短刀も用意された。内部乗員は2名で艦長と副長の名称だけが与えられる。
「雷撃一番が発令された。時を以て同時発射。総員運命を受け入れろ」
「この2人だけでも?」
「うるさい。それっぽくしたいんだ」
彼らの遥か頭上では艦隊防空が繰り広げられた。潜水艦は一般的に聴音から把握するが聴音の装置までも取り払う。簡易的な潜望鏡を用いて索敵を行う必要があり、遠洋での展開は実質的に不可能なため、トラック島など局地的な防衛に用いられた。
「味方が俺たちのために戦ってくれている。魚雷もたくさん撃てば当たるはず」
「当たらなかったら?」
「再度補給に向かうと言いたいが…」
「無理だよなぁ」
艦長モドキの中村は小さく息を吐く。潜望鏡から故郷の雪景色を見た。これは極度の緊張からくる幻想だろう。再度も改めて潜望鏡を覗くと敵艦までは5キロにも満たなかった。敵の護衛艦が外周を高速で航行する姿が映る。彼らの使命は点と点の間隙を縫って昼間から雷を放つことだ。
特殊潜航艇の外殻が水の重みに耐える音、空気供給の薄い呼吸。艦内の空気は濁り、汗の匂いと油の匂いが混じる。中村はふと自分たちが行うことの大きさを実感して背筋が寒くなった。彼の青春は艦艇整備と回転するプロペラの歌で彩られる。彼の手には2本の魚雷と十数名の仲間の命が置かれた。
彼らの他にも数十隻の特殊潜航艇が時を待っている。もしかしたら、墜落した航空機に巻き込まれて沈んでいるかも、もしかしたら、護衛艦に捕捉されて爆雷攻撃を受けているかも、お互いに状況を確認し合うことは到底できなかった。
「信号だ!」
「今だ! 魚雷発射!」
特殊潜航艇が各々で好きなように雷撃しては奇襲効果が減じられる。空襲中で対戦警戒が否が応でも緩む瞬間を捉えた。学徒兵でも可能な作業として信号を得た途端に雷撃のボタンを押すこと。これで仕事はおしまいだ。あとは帰投するだけだが最も困難な道のりにあげる。
特殊潜航艇は外部の左右に簡易的な発射機を備えた。53cmの一般的な魚雷だが日本海軍の酸素魚雷でなく電池魚雷を使用している。酸素魚雷は極めて高価な切り札である以上は使い捨ては勿体なかった。空気魚雷は安価だがブクブクと雷跡を主張してしまう。双方の良いところを目指した電池魚雷が登場した。ドイツから輸入した物を国産化する。酸素魚雷の高威力は無いが、電池で動くため雷跡は少なく、空気魚雷と同等に安価だった。
「当たってくれ…」
「頼む」
10秒、20秒、時間が固まる。水面上の敵艦隊にとって時間の経過に過ぎなかった。海中では60本にも及ぶ電池魚雷が同時に解き放たれる。特殊潜航艇が一斉に弾を走らせた。これに本業の軍人が操る小型潜水艦が加わると機雷を撒いて脱出路を閉ざす。
空が血に染まるよう一列の火花が海面を走った。最初の艦が炎上して次の艦は右舷側に黒煙が噴き出す。水柱が上がった。その音が遠い太鼓のように伝わる。中村は無意識に膝を抱えた。視界は潜望鏡の枠に限定されている。そこに見えるものは海が叫んで鋼の骨が砕けた。
「これは帰還するための作戦ではない」
「戻れそうにないな」
「あぁ、駆逐艦が対空砲を動かしながら迫ってくる。俺たちを押しつぶすつもりだ」
「よく見つけるよ。アメリカ人は良い食い物を毎日だ」
その言葉は悲壮ではない。むしろ静かな覚悟の表れだ。彼らが選択したのは仲間と海とに刻む一瞬の決定打である。小さな艇の群れが帝国の剣となった。これこそが帝国の剣作戦を為す。基地への帰還が絶望的な場合は虜囚の辱めを受けずと特別攻撃に移行した。魚雷を捨てて身軽になると蓄電池の残量を気にせずフルスロットルに入れ込む。
「舐めるなよ! 俺たちだって大和民族だ!」
「ここで沈んでもお前たちの船を沈めてやる!」
特殊潜航艇の加速力は全世界の海軍を見回しても追いつけなかった。一度でも最高速に乗ってしまえばトビウオのように航行する。小型艦が突っ込んでくる光景に畏怖を覚えない者はいなかった。一隻のフレッチャー級駆逐艦が急降下爆撃を回避するために孤立している。ブローニング機銃を動員して迎撃を試みたが、小型な故になかなか当たらず、仮に当たっても有効打は得られなかった。
「おふくろ…」
中村は穏やかな虚無に包まれる。やっと一つだけ思えた。これをどう言葉にするのかわからない。戦記は勝利の数を掲げるはず。彼が見たのは海に散る火花と仲間の顔の最後の光だった。彼らの雷環は確かに敵を裂くと同時に彼ら自身の運命も裂いている。
それぞれの艦首には少量だが高性能爆薬が詰め込まれた。本来は鹵獲を回避するための自爆用だが突貫攻撃に転用できる。駆逐艦であれば碌な防御力を持たなかった。フレッチャー級の脆弱な金属を切り裂いて突っ込むと遅延信管が作動する。その瞬間こそ彼らの勝利なのだ。
海は静かに、だが確かに、彼らを飲み込んでいく。
続く




