先に出会ったのは、俺だったんだよ(sideリシュアン)
ねえ、ミレイナちゃん。
先に君と出会ったのは、俺だったんだよ。
今でも、あの日を思い出すと胸の奥がざわつく。
最初に声をかけてきたのは、君の方だった。
「あなた、美しいわね」
一瞬、意味がわからなかった。
「え?」と間抜けに返した俺に、君は軽やかに言った。
「私、美しいものが大好きなの。......友人になってくれるかしら?」
あどけなさを残した笑み。
けれど、その瞳には強い意思の光が宿っていた。
あの瞬間から、君は俺を翻弄し始めたんだ。
俺は公爵家の長男に生まれ、望めば何でも与えられる立場にいた。
勉強も剣術も、こなせばそれなりにできた。
努力なんて必要なかったし、失敗することもなかった。
……けれど、それは同時に、退屈だった。
容姿にも恵まれていたせいか、言い寄ってくる令嬢も少なくはなかった。
でも、俺にとってはただの当たり前の景色。
感情が揺れることもなかった。
「恋をしている」と語る友人たちは、キラキラと眩しくて、俺には縁のない世界だと思っていた。
だけど――ミレイナちゃんは違った。
彼女もまた、俺と同じように“与えられる側”の人間。
けれど、退屈そうに見えたことは一度もなかった。
「欲しいものは全部手に入れるわ。そのためなら、手段なんて選ばない」
そう言った君を、俺は理解できなかった。
努力しなくても、いずれは手に入るはずなのに。
でも、その瞬間に気づいたんだ。
俺は“手が届く範囲”でしか行動してこなかった。
挑戦なんかしていなかったんだ。
そのことに気づいた途端、急に自分が臆病者に思えて、顔が熱くなった。
(……君は、眩しい)
その瞬間から、俺はどうしようもなく心を奪われていた。
君は、かっこよかった。
ある日、複数の令嬢がひとりの少女を取り囲んでいた。
嫌な空気が漂う場面に、ミレイナちゃんは迷いなく歩み寄る。
「美しくないわね」
その一言で空気が一変する。
「ミ、ミレイナ様......!」
「私、美しくないものは嫌いなの」
たったそれだけで、取り囲んでいた令嬢たちは戸惑いながらも退散した。
「......ふん」
君は何事もなかったかのように息をつく。
ぽつんと残された少女は、恐る恐る駆け寄った。
「あの......ありがとうございます」
おずおずと頭を下げる少女に、ミレイナちゃんは冷たく言い放つ。
「そんなだから囲まれるのよ。姿勢も表情もだらしない」
「......え?」
「ほら、背筋を伸ばしなさい。美しくないわ」
少女は驚きながらも、きゅっと背筋を伸ばす。
「は、はい……!」
そう言って、頭を下げて去っていった。
二人きりになったとき、俺は思わず口にしていた。
「......ミレイナちゃん、やっぱりかっこいい」
「なあに?リシュアンまで。思うままにしただけよ」
「それが、すごいんだよ」
俺の言葉に、君はわずかに口元を緩めた。
その瞬間、理解した――この人は、自分の世界を持っていて、恐れずに生きている。
それに、抗えないほど惹かれてしまった自分もいるのだと。
俺は完全に恋に落ちていた。
そして同時に、心の奥に小さな恐怖が生まれた――
こんなにも強く惹かれてしまったら、もう決して離れられないのではないかという恐怖だ。
やがて、家同士で婚約の話が出るほど、俺たちは近しい関係になった。
ミレイナちゃんに恋愛感情がないことくらい、わかっていた。
けれど、一番近い存在だという自負があった。
だからこそ、伝えようと思った。
“好きだ”と、自分の言葉で。
……けれど、現実はあまりにも残酷だった。
ある日の舞踏会。
俺はいつものように、彼女のエスコート役として会場に立っていた。
その時、ミレイナちゃんの視線が、ふと一点に止まった。
今まで見たことのない、君の横顔――。
胸の奥がざわつき、鼓動が速まる。
俺は思わず、声をかけた。
「......ミレイナちゃん?」
「なんでもないわ」
視線を戻して、凛と立つ君。
(......嘘だ)
俺はわかっていた。
その視線の先に、何があったのか――。
ーーユリウス・エルフォード。
その瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
俺は、ざわつく心を必死に押さえ、見て見ぬふりをした。
でも、逃れられない感覚が体中に広がっていた。
そしてまた、ある日のパーティー。
君の視線は再び一点で止まる。
言葉は短く、でも鋭く――。
「欲しいわ」
「......え?」
「私、彼が欲しい」
その一言で、俺の世界は音を立てて崩れ落ちた。
誰のことか聞かずとも、胸の奥で理解していた――。
ああ、この世界は、やはり残酷だ。
その瞬間、俺の理性は揺らぎ、感情は言葉にできないほどにかき乱された。
ただ立ち尽くすことしかできず、胸の奥で静かに、確実に、何かが壊れていった。
それでも、思わず声が漏れた。
「でも、彼には婚約者がいるよ」
君は顔を上げ、冷たい光を帯びた瞳で俺を見据える。
「だから?」
「......え?」
「”欲しいものは全部手に入れる。そのためなら、手段なんて選ばない”......そう言ったでしょう?」
君の瞳は、怖いくらいに真っ直ぐで。
その言葉通り、君は迷いなく動いた。
ユリウスの婚約者であるユーフェミアを孤立させるために、噂を流し、
公爵家の権力すら使って彼らを追い詰めていった。
そうして、想い合っていた婚約者同士を引き裂き――
君は、ユリウスの隣に収まったのだ。
だけど、その行動は人々の目にも映っていた。
「ねぇ、ミレイナ様って……あんな方だったかしら?」
「ちょっと、怖いわよね……」
次第に、君の評判は冷たいものへと変わっていった。
――悪女、だと。
けれど、そんな声など俺にはどうでもよかった。
君が誰にどう思われようと、俺にとってはただ、唯一無二のミレイナちゃんだった。
だから、君から離れることなんてできなかった。
ミレイナちゃんが望むのは、俺じゃない。
それは痛いくらいにわかっている。
でも、それでも君の幸せを祈らずにはいられなかった。
そんなとき、ミレイナちゃんは言った。
「あの女の影がずっとチラつくの。もう私が、婚約者になったと言うのに」
「そうだわ。目の届かないところにいってもらえばいいのよ」
よくないことなのはわかっていた。
でも、俺にとって一番優先すべきはミレイナちゃんだったから。
とんでもないことをしてしまったと思う。
ミレイナちゃんが「目障り」と言った婚約者を、害そうとした。
未遂に終わったとはいえ、取り返しのつかないことを。
それでも俺は迷わなかった。
君の望みを叶えることが、俺のすべてだったから。
そして君はユリウスと結婚した。
胸が引き裂かれるほどに苦しかったけれど、それが幸せならばと自分に言い聞かせた。
けれど運命は、残酷に別の刃を突きつけた。
――ミレイナちゃんが記憶を失った、と。
血の気が引いた。
せめて「彼女に覚えていてほしい」という願いすら、打ち砕かれた。
君は、俺を覚えていなかった。
記憶を失ってからの君は、まるで別人だった。
優しい表情で、無垢な……以前のような強引さや計算は影も形もない。
それでも、もしかしたらこれが本当の君なのかもしれない。
……けれど俺の心は、あの頃の君に縛られたままだった。
思い出すたび、胸が痛む。
あの強くて、勝手で、俺を振り回す君は――もう、この世界のどこにもいない。
結局、俺はあの頃のミレイナちゃんにどうしようもなく惹かれていたんだと思う。
今の君が変わったのだとしても、俺は……
忘れられないよ、ミレイナちゃん。
だけど――
君の幸せを祈らずにはいられない。
この恋は、間違えていたのかもしれない。
いや、きっとそうだろう。
でも、それでも――
俺に、恋を教えてくれて、ありがとう。
俺にとって恋なんて遠い世界のことだと思っていた。
ミレイナちゃんとの日々は……
それでも、確かに、恋だった。
俺の大切で……あまりにも眩しかった思い出。
君はもう、俺の手の届かないところにいる。
でも、だからこそ――君の幸せを祈れるんだ。
ありがとう、ミレイナちゃん。
俺に恋を教えてくれた、たったひとりの人。
多分ね、ユリウスとミレイナが出会わなければリシュアンルートでした。
リシュアンは 「悪女前のミレイナ」を愛して、「記憶を失ったミレイナ」に失恋した男。
ユリウスは 「悪女としてのミレイナ」を憎み、「記憶を失ったミレイナ」を愛してしまった男。
ミレイナもリシュアンとならきっと綺麗なままでいられた。
でも、ユリウスに出会ったことで狂ってしまった。
そして記憶を失った後に現れたのは、無垢で優しいミレイナ。
けれどそれは、環境や選択が削ぎ落とされた結果にすぎません。
悪女としての彼女も、リシュアンが惹かれた強い彼女も、全部がミレイナなんです。
改めて17話を読んでみると、彼の切なさが伝わるかと思います。
罪な女だよ、ミレイナちゃん。




