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7、どうして、ほっといてくれないの

 あの夜から、ユリウスは毎晩、私の部屋を訪れるようになった。


 最初の夜は、触れるだけだった。

 理性が勝ったのだと、思いたかった。


 でも、それ以降は違った。

 毎晩、何も言わずにやってきては、私の唇を奪う。

 ただキスをして、冷たい笑みを浮かべ、何も言わずに立ち去るのだ。


 その赤い瞳に宿る光は、感情を見せているようで、何も映していなかった。



 その唇が触れるたび、胸の奥に冷たい痛みが走る。

 けれど、同時に――身体のどこかが、熱を帯びていくのを、私は確かに感じていた。


 


 (やめて……やめたい……!)


 


 心は叫んでいるのに、指先は凍りついたまま動かない。

 触れられた場所がじんわりと痺れるように熱くなり、

 そのたびに、そんな自分が、どうしようもなく嫌だった。


 


 (どうして……どうして、こんな……)




 (……やめて……)


 私は心の中で何度もそう願った。

 けれど声には出せなかった。



 私には、拒む資格などない。

 どれほど彼が私を恨んでいるのか、知ってしまったから。

 思い出せないけれど、私は――それほどのことをしてしまったのだ。



 (でも……でも……!)



 怒りが、胸の奥で泡のように膨らんでいく。

 私は覚えていない。

 それなのに、今の私はただ一方的に裁かれる側で、

 まるで過去の罪が“当然の報い”だと言われるようで――理不尽で、苦しかった。



 目の前の男は、また私を裁こうとしている。

 何も言わずに現れては、勝手に傷をえぐっていく。そのくせ、本心は何ひとつ明かしてくれない。



 「……もう、いい加減にしてよ……!」


 堪えきれず、声が漏れた。


 「ほっといてよ!!」


 びくりと、ユリウスの肩が揺れる。


 しばらく沈黙が続いたあと、彼がゆっくりと口を開いた。


 「……それは、できない」


 低く、かすれた声だった。


 「……どうして」


 私が震える声で問い返すと、ユリウスは答える。


 「……わからない……俺にも」


 俯いた彼の顔が、少しずつこちらを向く。



 「でもなぁ、ミレイナ」


 「……君は俺に何をした?」


 その声には、怒りではなく、乾いた悲しみと諦めが滲んでいた。


 「……俺は、君に求められた時……拒むことすら許されなかった」


 「最初は向き合おうとした。せめて、少しでも時間をくれって……頼んだ。必死に」


 「でも君は……それすら許さなかった」


 「ユーフェミアがどうなってもいいのかと脅して――俺に、薬まで盛って、無理矢理……」


 「……抱かせようとしたじゃないか」






 私は息を呑み、絶句した。

 信じられなかった。けれど、彼の声音には、嘘の余地などなかった。





 (ユーフェミア……?)



 その名前に、まったく聞き覚えはなかった。けれど、胸の奥がざわめく。

 淡く、けれど確かに、何かが引っかかる。



 (もしかして……ユリウスの、元の婚約者……?)



 頭の奥に、重たい霧がかかったような感覚。わからない。でも、もしそうなら――

 そんな相手にまで私は……



 「……でも、私は……知らないのよ……!」


 思わず声が上ずる。感情が噴き出すのを抑えきれなかった。




 「お願いだから、もう……ほっといて……」


 それだけを、絞り出すように口にした。



  ユリウスは何も言わず、ただじっとミレイナを見つめたまま動かない。

 けれどやがて、ほんの一瞬だけ視線を揺らし、静かに扉へと向かう。


 閉じる音すら残さず、彼は部屋から去っていった。



 取り残された空間に、重苦しい沈黙だけが漂う。


 


 ミレイナはその場に膝を抱え込み、ぎゅっと目を閉じた。

 こみ上げてくる涙を堪えるように、何度も深呼吸する。


 怒り、悲しみ、混乱……全ての感情が渦巻く。

 でも、ユリウスを責めることはできない。

 だって、彼の言う“私”は、確かに――酷いことをしたのだから。


 記憶はない。

 でも、それが“なかったこと”になるわけじゃない。


 


 「せめて……せめて、もう誰も傷つけない自分になりたい……」


 かすれた声でそう呟いて、ミレイナはベッドに腰を下ろす。

 けれど、眠れるはずもなかった。心はざわめいたままで、安らぎなどどこにもなかった。


 


 ふと、視線が部屋の隅に置かれた花瓶へと向く。


 純白の花が一輪、静かに揺れていた。


 やさしい色。整った形。

 どこにも毒も傷もなく、ただそこに在るだけの存在。


 ――きれい。


 こんなにも、きれいだったのね。


 これまで、見ようともしなかった。

 目に入っていたはずなのに、心に届いたのは今が初めて。


 


 「……あなたは、私を責めない……わね」


 ぽつりと、誰にも届かない声が空に溶けていった。


 そのまま、ミレイナは布団に身を横たえた。

 眠れない夜は、まだまだ続きそうだった。


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