71、灰桜色の意思
数日後。
私たちは王都を離れた。
馬車の車輪が、静かに石畳を滑っていく。
行き先は、ノクテリア辺境伯邸――。
(……ユーフェミア様)
胸の奥に、その名前がふわりと浮かぶ。
でも、不思議と震えはなかった。
隣に座るユリウスが無言で私の手を取った。
優しく、けれど決して離さないように握り返す。
「……大丈夫か?」
低い声が耳元に落ちる。
「……ええ」
自然に答えている自分に、少し驚く。
でも、それは嘘じゃなかった。
(もう、逃げないって決めたから)
ユリウスの手は、温かい。
その熱が、私の不安を少しずつ溶かしていく。
馬車はやがて、辺境の城門前で止まった。
「到着だ」
ユリウスが小さく呟いた。
私たちは扉を開け、外に降り立った。
ノクテリア辺境伯邸。
見上げた城館は、どこか静かな威厳をまとっていた。
すぐに出迎えの人々が現れた。
その中に――見間違えようのない一人の女性が立っていた。
(……ユーフェミア様)
淡い灰桜色の髪が、風に揺れていた。
その瞳は、深いブラウン。
ただそこに立っているだけで、目が離せなかった。
(……やっぱり、綺麗な方)
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
ユーフェミア様の目が、まっすぐに私を捉えていた。
その表情は、柔らかくも鋭い。
逃げ場はない。
(......大丈夫)
私は心の中で自分に言い聞かせた。
ユリウスの手を握り直すと、彼も無言でその手を包み返してくれる。
「ミレイナ」
隣から、静かな呼びかけ。
私は、小さく頷いた。
そして、足を踏み出す。
ユリウスと共に――
***
「ようこそお越しくださいました」
ユーフェミア様が、凛とした姿で出迎える。
そして、静かに微笑んだ。
「......ふふ。お待ちしておりましたよ」
思わず、胸の奥がどきりと跳ねる。
(......大丈夫。大丈夫)
心の中でそっと唱えながら、視線を隣へ移す。
ユーフェミア様の隣には、一人の男性が立っていた。
その男性に目を向けると、ユーフェミア様が一歩前に出て、紹介する。
「こちらが夫のアレクシス・ノクテリアです。......ユリウス様は、二度目ですわね?」
「ああ……お時間をいただき、感謝する」
ユリウスが静かに頭を下げる。
(......そう、なんだ)
ユーフェミア様の旦那様とも会っていたんだ......知らなかった。
アレクシス・ノクテリアは、一歩前に出た。
「初めまして、エルフォード侯爵夫人」
燃えるような赤髪と、まっすぐな金色の瞳。
その目に見つめられると、心の奥まで見透かされるような気がした。
「は……初めまして」
自然と声が小さくなる。
思わず、少しだけ後ずさりそうになった。
その様子を見て、ユーフェミア様が柔らかく微笑む。
「ふふ......そんなに緊張なさらないで」
その声は、驚くほど穏やかだった。
けれど、その奥に――触れてはいけない何かが、確かにある。
笑みの形をしているのに、逃げ道はない。
「ユリウス様」
彼女は、視線をユリウスに向ける。
「……できれば、ミレイナ様と二人きりでお話ししたいのですが」
ユリウスの眉がわずかに動く。
その赤い瞳が、私を見た。
私は小さく頷いた。
「……大丈夫」
ユリウスの手を、ぎゅっと握り返す。
「行ってきます」
これは、私が向き合うって決めたことだから。
ユリウスはしばらく黙ったまま、私を見つめていた。
けれどやがて、ふっと力を抜くように手を離した。
私は一歩、前へ出る。
ユーフェミア様のもとへ――。




