5、私じゃない”私”の罪
兄が去った後、私はしばらく動けなかった。
まるで、身体の中に沈殿した鉛のような罪悪感に、足元を縫い留められているみたいだった。
婚約者同士だった二人を、私が――引き裂いた。
その言葉が、頭の中をぐるぐると巡っていた。
どうしてそんなことをしたの?
なぜ、そこまでして……?
記憶のない私は、ただ「想像する」しかない。
けれどその想像が、恐ろしくて、胸の奥を鈍く締め付けた。
レオナルドが部屋を後にしてから、私はベッドの上で膝を抱えたまま、ずっと動けずにいた。
(私が……愛し合っていた婚約者同士を、引き裂いた……?)
記憶のない頭の中で、何度もその言葉が反響する。
ヴァンデール公爵家で大切に育てられた令嬢だったはずの私が――
そんな、最低のことをしたなんて。
けれど、ユリウスや使用人たちの冷たい態度。
どこか怯えるような目線や、距離を取ろうとする空気に……妙に納得がいってしまった。
(だから……誰も私を信じようとしなかったんだ)
知らないうちに、私は“誰かを傷つけた女”になっていた。
それも、取り返しのつかないほどに。
私はそのまま、夜まで自室から一歩も、出られなかった。
ユリウスと顔を合わせるのが怖かった。
彼が来るかもしれないと考えるだけで、胸が締めつけられる。
(来るのかな……今度は何を言われるんだろう……どんな目で見られるんだろう……)
怖くて仕方がなかった。
でも――その日は、ユリウスは姿を見せなかった。
(……来ないのね)
どこか、ほっとする気持ちと、
ひどく突き放されたような寂しさが、胸の奥で交錯する。
(……そりゃそうよね。あれだけのことをしたんだもの。会いたくないに決まってるわ)
思い出せないけれど、自分が犯した過ちの輪郭だけは、はっきりしてきている。
ユリウスにとって、私は顔も見たくない存在。
顔を合わせないで済むことに安堵しながら、現実を突きつけられたような気がして、目の奥がじんわりと熱くなる。
「……とりあえず、今日は寝よう……」
そう呟いて、私はベッドに身を沈めた。
――コン、コン。
ノックの音が、静かな部屋に響いた。
息が止まりそうになる。
(……今の、音……)
扉が開く。そこにいたのは――
「……体調は、どうだ?」
低く落ち着いた声。
ユリウスだった。
「……おかげさまで」
そう答えるのがやっとだった。
視線を合わせることもできず、私はただ、布団をぎゅっと掴んだ。
それきり、会話が途切れる。
「………」
ユリウスは、何も言わずに立ち尽くしていた。
その気配が、妙に重苦しく感じられて、喉の奥が詰まりそうになる。
(怖い……なにか言って……なにをしに来たの……?)
どれだけの時間が過ぎたのかわからない。
ようやく彼が口を開いた。
「……どうやら、記憶喪失というのは……本当らしいな」
その言葉に、私は顔を上げる。
ユリウスの目は、どこか冷えた光を帯びていた。
「君は、夜になると……必ず俺に“行為”を強要してきた。
だから、もしそれが演技であれば……今夜、またそうするだろうと、思っていた」
心臓が、止まりそうになった。
強要……? 私が、彼に?
そんな、こと……
「……っ」
言葉が、何ひとつ出てこなかった。
ただただ、恐ろしさと、信じたくない現実に――体が、震えていた。
ーーー私はこれまで、どれだけのことを犯してきたの......?
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