58、赦しの後、罰のように
「......一目惚れだった」
リシュアンの声は、どこか遠い過去を見つめるように穏やかだった。
静かに揺れる風の音が、ふたりの間に漂う。
「まっすぐで、気高くて、凛としていて……その姿も、生き方も。……もはや、崇拝に近かったのかもしれない」
私は思わず視線を伏せた。
そんなふうに言ってくれた人なんて、今までいなかった。
それは嬉しいはずなのに、胸の奥が少しだけ痛む。
「俺はさ、自分で言うのもなんだけど、なんでもそつなくできちゃうんだ」
「特に、感動や達成感もなく、それが当たり前で。誰にも期待もしてなかったし、誰にも心が動かなかった」
「でも、君だけは違った。初めて“追いかけたい”って思った人だった」
空を見上げるような彼の瞳は、どこか寂しげで、それでも優しくて――
その想いは、まっすぐに私の胸へと届いた。
「でも、どうしたら君に振り向いてもらえるのか分からなくて」
「……君は、俺と違って、はっきりと自分の意見を口にする人だった」
「周りの顔色なんて気にせず、欲しいものは欲しいって、堂々と言える。
怖いくらいにまっすぐで、堂々としていて――」
「“欲しいものは全部手に入れるわ。そのためなら、手段なんて選ばない”って、あのとき君は言ったんだ」
「……俺は、その言葉を聞いて、なぜか心を掴まれた」
「今思えば、やり方は間違えていたのかもしれない。
でも、俺にはないものを持っている君が……俺には、どうしようもなく、輝いてみえたんだーー」
「君が望むなら、何だってしてやろうと思った。
それが“好き”ってことだと、あの頃は……そう思い込んでたんだ」
「君が困ってたら、助けたい。泣いてたら、笑わせたい。
……でも、君が“望むなら”、誰かを傷つけることすら迷わなかった」
リシュアンは、ふっと短く息を吐いた。
「ほんと、馬鹿だったよな。
……結局、俺は“君が欲しがるもの”を手に入れさせてあげたかっただけで、
“本当に君のためになること”なんて、何一つ考えてなかった」
「――俺、恋の仕方を間違えたんだと思う」
小さな告白のようなその言葉に、私は息を呑んだ。
……同じだった。
この人も、私と同じだった。
求め方を間違えて、すれ違って、誰かを傷つけて。
でも、心の奥にあったのは、誰かに愛されたかった、ただそれだけだったのかもしれない。
それがわかるのに、どうしてこんなに胸が痛いんだろう。
(……わかってた。ずっと。気づかないふりをしてただけ)
胸の奥に、ひっそりと隠していた孤独が静かに暴かれるような感覚。
リシュアンの言葉は、鏡のように私の過去を映し出していた。
自分自身に向き合うことを、ずっと避けていたのかもしれない。
でも今なら、受け止められる気がする。
「ミレイナちゃんの望むことはなんだって叶えたかった、そうーー全部、ね」
「ただ、それだけだった」
「......反省してる。してはいけないことまで、してしまった」
その言葉に、私は思わず息を吸い込んだ。
(それはーー私だって、同じだ)
胸の奥が、ひりつく。
喉の奥で、何かが引っかかったように苦しくなる。
彼の“好意”を、私は利用していた。
都合よく、期待させて。
そのくせ、最後まで応えなかった。
(……きっと私は、彼の優しさを試していたんだ)
そんなの、今思えば、ひどいやり方だ。
どれだけ残酷なことだったか。
「......私も、ごめんなさい」
小さな声だった。
でも、それは確かに、私の本心だった。
彼の視線が、ゆっくりとこちらに戻る。
「え......?」
「覚えていないけれど、きっと私は......あなたの”想い”を利用していた」
「それが、どれほど酷いことだったのか……」
少し震える声でそう言うと、リシュアンは首を横に振り、小さく笑った。
「いいんだよ。それを選んで行動したのが、俺だからさ」
「ーー責任は、俺にある」
その言葉には、焦りや苛立ちとは違う、澄んだ決意がにじんでいた。
「……でも、そんなふうに言ってもらえるなんて、嬉しいな」
「なんだか少し……報われる気がするよ」
(この人は、本当にーー)
「......優しすぎるわ」
リシュアンは少し肩をすくめて、照れたように笑った。
「でしょ?……俺さ、自分で言うのもなんだけど、結構いい男だと思うんだよ?
顔もまあまあ、家柄も悪くない、一途さには......ちょっと自信あるし」
ミレイナは目を伏せて、小さく笑った。
ふざけたような言い方の中に、滲む本音と未練。わかっているから、胸が痛んだ。
「……勿体ないくらいの人だわ」
「ほんとだよー? だからさ……最後まで期待しちゃった」
そう言って、彼は立ち上がる。
「――でも、もう十分だ。
この話は、おしまい」
振り返ることなく、リシュアンは手をひらりと振って、軽やかに歩き出す。
「これからは“良き友人”としてよろしくね、ミレイナちゃん!」
「……えっ?」
咄嗟に声を出すも、彼はもう背中しか見せない。
その姿が角を曲がって見えなくなったとき、
ミレイナは小さく呟いた。
「……行っちゃった」
口にしてみて、自分でも少し驚いた。
けれど、その瞬間――胸の奥に絡まっていた重たいものが、すうっと解けていくようだった。
「……まぁ、いっか」
ーーこんなに気分は、晴れやかなんだから。
微笑みながら、小さく息を吐く。
過去の自分も、彼の想いも、すべてをまっすぐに受け止めることができた気がした。
“けじめ”とは、きっとこういう気持ちのことを言うのだろう。
私はベンチに座ったまま、ぼんやりと噴水を眺めた。
太陽の光が水面に反射して、きらきらと眩しい。
こんなに綺麗な場所だったなんて、初めて気づいたような気がした。
「……そろそろ戻ろうかな」
そう呟いて立ち上がった瞬間――
ふいに、声が聞こえた。
『ふうん……それが、あなたの選択なのね』
(……え? 今の、私?)
確かに“自分の声”だった。
でも、誰もいない。返事もない。
首を傾げたまま、私はゆっくりと歩き出していた。
まるでその声の続きを探すように、無意識に視線を彷徨わせながら――
(……気のせい、だよね)
そう思った、その瞬間だった。
――かすかに、足元の感覚がずれた。
「あっ……」
今思えば、この時の私は、気を取られていた。
無意識に、歩みを進めていた。
進んだ先に、この声の答えがわかる、そんな気がしたのかもしれない。
だから、気が付かなかった。
完全なる不注意だった。
足を踏み外したと気づいたときには、もう遅い。
足元の石畳が、かすかに崩れていたのに気づいたのは、そのほんの一瞬後だった。
階段の縁に足を取られ、視界が傾く。
体が浮く。風が鳴る。
ほんの一瞬、時が止まった気がした。
『これが、あなたの選んだ道――』
声が、遠くで囁いた気がした。
そして私は、何かに包まれるようにして――
意識を手放した。
目を閉じた瞬間、世界は静かになった。
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