57、さよならの前に
王都のはずれに、昔からひっそりと佇む庭園がある。
貴族たちの間でもあまり知られていない、小さな噴水と花々に囲まれたその場所は、どこか時間の流れさえゆるやかだった。
数日前、私はリシュアンに手紙を送った。
あの建国記念パーティでのことも含めて、過去ときちんと向き合いたかった。逃げずに、自分の言葉で。
そして今日。
彼は、約束どおり、この場所に現れた。
「ミレイナちゃんから誘ってくれるなんて.....驚いたけど、嬉しいよ」
「......こちらこそ、時間を作ってくれてありがとう」
どこか照れたような、けれど嬉しそうなリシュアンの表情に、胸が少しだけ痛んだ。
私は、これから伝える言葉の重さを思い、そっと唇を引き結ぶ。
しばらくふたりで、黙って庭の景色を眺めた。
噴水の水音と、木々を揺らす風の音だけが聞こえてくる。
「この前は......励ましてくれたのに、ちゃんと挨拶もせずにごめんなさい」
「いや、仕方ないよ。......それにしても、ユリウスのあんな顔、初めて見た」
ユリウスの顔が思い浮かぶ。
あの時、彼は何を思っていたのだろうか。
私は、黙り込み、答えに詰まってしまう。
そして、リシュアンが尋ねる様に口を開く。
「ちゃんと仲直りできたの?」
「......えっと」
「......ん?」
「実は今、私......実家に帰っているの」
リシュアンは驚いたように目を見開いた。
「えっ、それって......俺のせい?」
私は小さく首を振る。
「違うわ。......私自身の問題なの」
「いろいろ考えたくて、距離を置いているの」
「……そうなんだ」
少し、考え込んでいるようだった。
また少し、風が吹いた。でも、さっきよりも空気は和らいでいた。
「実家に帰って、いろんなことを考えていたら、あなたのことも自然と頭に浮かんだの」
リシュアンは息を呑み、そして、少しだけ笑った。
「……ちょっと待って、それ、俺フラれるやつじゃない?」
リシュアンは、ふっと力を抜くように肩をすくめた。
「あんなことしておいて、信用ないかもしれないけどさ」
視線が私を捉えることなく、どこか遠くを見つめている。
「俺、別に……不倫したいわけじゃないんだよ」
その言葉に、私は思わずまばたきをした。
「んー……その辺の理性? ちゃんとあるつもりだし、変なことは考えてない。……たぶん」
冗談めかした口調に、少しだけ苦笑が混じる。
「でもね、ただ、君の幸せが……俺にとっては、一番なんだ」
今度は真っ直ぐに私を見る。
その目に映るのは、未練とも諦めともつかない、淡い光だった。
「……俺じゃ、ダメなことくらい……もう、ちゃんと分かってるよ」
ぎこちなく笑ったその顔は、どこか無理をしているように見えた。
「……あの時さ。君に忘れられたのがショックで……」
言い淀み、拳を軽く握る。
「怖がらせるようなこと、してしまった。……本当に、ごめん」
真摯な声だった。
誰よりも近づきたくて、間違った方法で想いをぶつけてしまった人。
でも、こうして――自分の過ちと向き合い、謝ってくれる人。
「でも……終わりにしないで」
静かな声が、風に溶ける。
「――このままでいいから。友達でも、知り合いでも……なんでもいい。君の近くにいられれば、それだけでいいから」
私の胸が、きゅっと痛んだ。
こんなにも真っ直ぐに言われると、返す言葉に詰まってしまう。
記憶はないけれど、彼の気持ちは伝わってくる。
それに、あのパーティーでは彼に助けられた。
彼がいなければ、私はきっと……無事ではいられなかった。
彼は……本当に私のことを想ってくれていたのだと思う。
――けれど、過去の私は……その想いを、利用していた。
ふいに、彼が言ったあの言葉を思い出す。
「……俺は、ミレイナちゃんのために何でも尽くしてきたんだ。
君の望むままに、全部。全部、だよ。
それを……忘れた、だと?」
酷いと、思った。
でも……あの頃の私には、きっと罪の意識なんてなかった。
でも、もう決めていた。
今度こそ、誰かの気持ちに甘えずに、寄りかからずにーー自分で、立つって。
そのために、伝えなければならない。きちんと謝って、終わらせなければならない。
私は、静かに首を横に振った。
「……リシュアン様」
「......でも、私はやっぱり“このまま”じゃいけないと思ったの」
彼の顔に、一瞬だけ影が落ちた。
でもすぐに、どこか寂しげな、それでも優しい目をして笑った。
「ミレイナちゃん......変わったね」
「でもさ、そんな単純な話じゃないんだよ」
「……少し、昔話をしてもいい?」
私は頷いた。
それが、彼なりの“さよなら”の準備なのだと、なんとなくわかったから。
70話くらいで完結予定です。




