54、少しずつ、ほどけて
私が、私であるために。
自分の足で立って、胸を張って未来を生きるにはーー
今のままじゃいけない。
まず、私が向き合うべきは......両親だ。
そう決めてからは、案外、早かった。
私は、侍女に声をかけた。
「ねぇ、お父さまとお母さまに、少し時間をもらえないか聞いてほしいの」
***
「まあ、ミレイナ!どうしたのかしら」
「記憶をなくしてから、なんだかよそよそしかったものね。こうしてお茶に誘ってくれて嬉しいわ」
母も父も、どこかほっとしたような、嬉しそうな顔をしていた。
「いえ……こうして時間を作ってくださってありがとうございます」
しばらくは、穏やかな会話が続いた。
季節の話や、お茶の香りのこと。子どものころの思い出話に、私はうまく笑えなかったけれど。
ときどき、母が言う。
「これ、あなたに似合うんじゃないかしら」
「今度一緒にブティックへ行きましょう。なんでも買ってあげるわ、可愛いミレイナのためだもの」
……その言葉が、胸に重くのしかかる。
迷いそうになる。
けれど、決めたのだ。ちゃんと伝えるって。
「…ねぇ、お父さま、お母さま」
「なあに?ミレイナ」
私は、そっとカップを置いた。
小さな音が、静かな空間に落ちた。胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「記憶はないけれど……。ふたりから、たくさんの愛情をもらっていたんだなって、わかるの」
「まぁ、そんなの当然じゃない」
「うん、ありがとう」
「でもねーーもう、平気だよ」
ふたりが目を見合わせたのが、視界の端に映った。
「私、自分で考えて、自分で決めていけるから」
「……ミレイナ?」
母の声には、わずかな戸惑いが滲んでいた。
「記憶をなくしてから、色々考えたの」
「誰かに与えられるだけじゃなくて、自分で選ぶ人生を生きたい。そう思うようになったの」
母の目が少しだけ揺れる。父は黙ったまま、私を見つめていた。
そして、ぽつりと呟くように言った。
「……子どもってのは、いつまでも子どものままだと思ってしまうものだな」
目を伏せながら、つぶやくように続ける。
「知らずに、負担をかけていたのかもしれない」
「あなたまで……」
母は戸惑っているようだった。
私の言葉が、きっと母の世界を揺るがせている。でも、それでも伝えたかった。
私は小さく笑った。
「ありがとう、お父さま」
「お母さまの愛情も、ちゃんと伝わってるよ。だからこそ、お願いがあるの」
「お願い?」
「“私のために、なんでも与えようとする”のは……もう、やめてほしいの」
母の指がぴくりと動いた。
「そんな……あなたのためを思って、私は――」
「うん、わかってる。ずっと、ありがとう。でも、もうね、自分のことは、自分で考えたいの」
私の声は、もう震えていなかった。
母は目を伏せるようにして、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言う。
「……ミレイナ。あなた、変わったわね」
「そうかもしれない。でも……それが、今の私なの」
沈黙が落ちる。
外から、小鳥のさえずりがかすかに聞こえてきた。
やがて、父が口を開いた。
「……ミレイナ。お前がそう思うなら、それがきっと正しいんだろう」
「お父さま……」
「それにな――」
少しだけ笑って、父は続ける。
「こうしてお前が、自分の言葉で話してくれたこと。それが……父としては、なにより嬉しいよ」
――涙が、にじんだ。
「……ありがとう」
私は、少しだけ笑うことができた。
母はまだ、どこか戸惑っている顔をしていたけれど。
その手が、そっと私の手の上に重なる。
「……時間をちょうだいね。すぐには……うまくできないかもしれないから」
それは、母なりの精一杯の“歩み寄り”だった。
「うん。ありがとう、お母さま」
ずれていた心が、ぴたりと噛み合ったわけじゃない。
けれど――少しだけ。
ほどけていた糸が、繋がった気がした。
完全には分かり合えなくても、ほんの少しだけでも寄り添えた――それが、今は嬉しかった。
「私、自分の足で立てるようになるよ。ちゃんと見ていてね」
いつか、もっと自然に笑い合える日が来るように。
そう願いながら、私はそっと前を向いた。
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