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【本編完結済】悪女だった私は、記憶を失っても夫に赦されない  作者: ゆにみ
本編

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53、この罪に、名をくれ

 ミレイナが、実家に帰った。


 何も言わずに消えたわけではない。


 あの日、彼女はまっすぐに俺の目を見て、言ったのだ。


 


 「ユリウス……一度、離れましょう」


 


 声は静かで、けれど強かった。


 揺らがない想いが、その言葉の奥にあった。


 


 「……私、自分を見つめ直したい」


 


 「だから……もう少しだけ、時間をちょうだい」


 


 あの瞬間、俺は初めて、彼女を本当の意味で“見た”のかもしれない。


 嫌だと思った。


 けれど、彼女のまっすぐな目を見たら、何も言えなくなってしまった。



 否。


 何も言えなかったのではない。


 言いたくなかったのだ。あの目を見てしまえば。



 彼女の背中を、引き止めることができなかった。


 まるで捨てられたような気分だったくせに、それでも、強く抱き締めることができなかった。


 


 ――俺は、何をしている。


 


 ミレイナの隣にいたいはずなのに。


 なのに、彼女の意思を、足を、止めさせることができなかった。


 


 きっと、どこかでわかっていた。


 彼女の“離れたい”という言葉は、逃げではなく――変わろうとする勇気だったのだと。


 


 あの"目"が全てを物語っていた。


 過去の罪を背負い、向き合い、前を向こうと。


 


 ……そして、その言葉は、俺自身にも向けられていたのだ。


 


 


 (自分を見つめ直す――)


 


 その一言が、心に引っかかって離れない。




 (……俺は)

 


 彼女を、愛している。


 いいや……愛してしまったのだ。



 ……恨んでいたはずだった。

 記憶を失ったと知った時、ひどく裏切られた気がした。


 こんなにも苦しんで、こんなにも引きずって、

 それなのに――彼女は、すべてを忘れて、涼しい顔で立っていた。


 

 自分がされたことを、そっくりそのまま返してやる。

 そうすれば、気が済むと思っていた。


 


 けれど――違った。


 過去のミレイナと、今のミレイナは、まるで別人だった。


 怯えるように俺を見る目も、声の震えも、触れたときの体温も。


 罪悪感が胸を締めつける一方で――


 ……その脆さに、どこか仄暗い悦びさえ覚えてしまった自分がいた。


 


 最低だと思った。けれど、止められなかった。


 やめるべきだと、何度も思った。


 それでも、引き返せなかった。


 


 そんなとき――彼女は言った。


 


 「……私たち、離婚しましょう」


 


 怒りが湧いた。


 またもや、裏切られた気がして、頭が真っ白になった。



 許せなかった。


 彼女が記憶を失ってから、すべてがぐちゃぐちゃで、わからなくなっていた。


 責任をとれ、と思った。


 だったらもう、いっそ一緒に堕ちてしまえばいい――そんなふうにさえ。


 


 そうしてまた、俺は彼女に感情をぶつけた。


 赦せないのに、縋って、縛って、壊そうとした。



 それでも。


 それでも、今の彼女は違っていた。


 


 おそるおそる差し出される言葉。


 壊れそうなほど脆くて、それでも前を向こうとする姿。


 


 ……もう、惹かれていた。


 


 心を揺らされ、目を離せなくなっていた。



 


 「……そんなふうにされたら……また……

 ……好きになって、しまう……」


 

 

 ……そんな言葉を向けられて、堕ちない男がいるものか。

 気づけば俺は、どうしようもなく彼女に――囚われていた。



 彼女の罪も、弱さも、すべてを知ったうえで――それでも惹かれてしまった。


 


 もう……罪も赦しも、どうでもよくなっていた。

 


 守りたいと思ってしまった。



 あの、蜜月の様な日々に、ずっとふたりで閉じこもっていたかった。



 こんなにも、愛してしまった。

 どうしようもなく、抗いようもなく……。



 けれど、それは。


 


 (ユーフェミアを、否定することになるんじゃないか?)


 


 俺がミレイナを愛するということは、ユーフェミアが味わった地獄のような時間を、“正当化する”ことになってしまうのではないか。



 ――そんなこと、できるわけがない。


 


 俺は、彼女を見捨てた。救えなかった。


 あの時、あの婚約を守っていれば、彼女は、もっと違う未来を歩めたかもしれないのに。


 

 けれど。



 ユーフェミアは――今は、遠く離れた辺境の地で、まっすぐで誠実な男と巡り合い、穏やかな暮らしを送っている。

 

 その姿を見て、安堵と、そして取り返しのつかない過去に対する痛みが、同時に胸を刺した。


 彼女の幸せを願うことと、あの傷をなかったことにするのは、まったく違う。



 俺自身も被害者ではあった。



 でも、今の俺は……どうだ?



 それは、



 ーー赦されてはいけない側の人間だ。



 けれど、それでも。


 


 今の俺は、ミレイナを……ミレイナだけを、見ている。


 


 「……お前は、本当に……」




 「ずるい女だ……」


 


 呟いた声は、ただ虚しく部屋に溶けた。


 


 それでも。


 


 あのまなざしを、思い出す。


 真っ直ぐで、まるで祈りのように、まっさらなその光を。


 


 きっと彼女は、もう一度前に進もうとしている。


 罪を償うでもなく、逃げるでもなく――自分で答えを見つけようとしている。


 


 ならば、俺も。


 俺自身の答えを、見つけなければならない。


 


 彼女が戻るその日までに。




 「……戻ってこい、ミレイナ」


 


 そうしてくれなければ、もう俺は……


 まともな顔で、生きていける気がしない。

 

ミレイナは光を選んだけど、ユリウスは闇ごと愛してしまった。

そんな男に惹かれたら最後――ユリウス沼、抜け出せません。


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