52、出発の夜明け
“私”はほんの少しだけ首を傾げて、静かに、言った。
「あなた、ずいぶんと変わったのね。記憶を失っただけで」
「……変わったんじゃない、気づいたのよ。ただ......それだけ」
ミレイナは一歩踏み出す。
あまりにも眩しく、空虚だった“過去の自分”へと。
「私は、自分の足で立って、歩きたい。誰かに用意された世界じゃなくて、ちゃんと、私自身で選んだ未来を――生きたい」
“私”の微笑が、ほんの一瞬だけ、揺らぐ。
「ふうん……」
“私”は目を細めて、わずかに眉をひそめた。
「そんなふうに言うなんて――まるで、私が間違っていたみたいじゃない」
その言葉に、ミレイナは迷わず、はっきりと頷いた。
「ええ、間違っていたのよ。少なくとも、私はもう戻らない」
“私”はその言葉を聞くと、一瞬だけ目を逸らした。
けれどすぐに、薄く笑って言った。
「なら、せいぜい頑張ってね、私」
足元から、ゆっくりと白い床が砕けていく。
音はないのに、世界が泣いているようだった。
ひとつの記憶が終わり、ひとつの心が、生まれ変わる。
(さようなら、”私”――)
……あなたも、必死だったのよね。
歪んでいたけど、それでも――愛したかったのよね。
遠ざかっていく“私”の背に、そう心の中で告げながら、ミレイナは目を閉じた。
やがて――まぶたの裏に、夜明けの気配が差し込んできた。
***
ゆっくりとまぶたを開けると、そこには、朝の光が差し込んでいた。
カーテンの隙間から覗く空は、ほのかに朱を帯びている。夜が明けたのだ。
(……夢、だったのね)
けれど、あれは確かに“自分”だった。
記憶をなくしても、変わらないものがある。
それでも、今の私は、あの頃とはもう違う。
(私は……やっと、自分の気持ちに......)
ユリウスを、愛している。
過去のことも、罪も、すべてがなかったことにはならない。
けれど――
それでも、この想いだけは、偽りじゃない。
今は、はっきりと言える。
(……たとえ、報われなくても)
ユリウスは、ユーフェミア様の隣に立つかもしれない。
その姿を見たら、きっと心が痛む。
けれど、それでも。
(この想いを伝えたい)
依存じゃない。
ただ赦されたいわけじゃない。
愛されたくて伝えるんじゃない。
ちゃんと自分の足で立って、前に進むために――私は、私の言葉で想いを伝えたい。
そのためには、過去と向き合わなくてはいけない。
逃げたままでは、きっと何も変わらないから。
ユーフェミア様に。
そして……リシュアン様にも。
(会わなくちゃ。話をしなくちゃ)
たとえ過去がどんなに苦しくても、私はもう、あの夢の中の“私”には戻らない。
この手で、未来を選ぶために。
窓の外に、太陽が昇っていた。
眩しい光が、ゆっくりと部屋を満たしていく。
ミレイナはそっと胸に手を置き、小さく、けれど確かな声で呟いた。
「……行こう。私が、私であるために」
次は、ユリウス視点!
劇重感情男の沼へ進む覚悟は出来てますか!!!




