51、ミレイナ・エルフォード
やがて、レオナルドは立ち上がり、静かに部屋を後にした。
静寂が戻った部屋には、夜の帳がすっかり降りていた。
ミレイナはゆっくりとベッドに腰を下ろし、カーテンの隙間から覗く夜空を見上げる。
(……本来の私、ね)
兄の言う通りなら、私は記憶を失う前と後で、根本的には何も変わっていないのかもしれない。
ただ――違うのは、環境。そして、自分で思考できていること。
(難しいわ……でも)
向き合わなきゃいけない。
この先の未来を、胸を張って――自分の足で生きていくために。
ミレイナは、ゆっくりと目を閉じる。
夜の静けさが、やわらかく心を包みこむ。
思考が沈むように、深く、深く――
気づけば、眠りに落ちていた。
***
その夜、ミレイナは夢を見た。
ふと目を開けると、そこは――
真っ白な、何もない空間だった。
どこまでも静かで、冷たい。時間さえ凍りついたような感覚。
そして――目の前に、誰かが立っていた。
鏡に映したようにそっくりな姿。
(ーー彼女は、もしかして……私?)
似ている。
似ている、けれどーーー
その目だけが違っていた。
かつての“自分”の目だろうか。
自信に満ち、傲慢で、強くて、そして――壊れそうなほどに痛々しい目。
白銀の髪。碧い瞳。きらびやかなドレスをまとい、何かを嘲るような微笑を浮かべている。
「なに、それ。今さら“反省”でもしてるつもり?」
声は甘やかに響いた。でも、そこに含まれた嘲りが、心に突き刺さる。
「あなたは……私?」
「ええ、私はミレイナ・エルフォード」
ミレイナは息をのんだ。
「ねえ、あなた……なんで、あんなことをしたの?」
「“あんなこと”って、なにかしら?」
「全部よ。自分の望みのために、周りを利用して……人を傷つけて……そんなの、間違ってる」
“彼女”はふっと笑った。その笑みは、まるで可哀想な子を見るように、優雅で残酷だった。
「いけないこと? どうして?」
「えっ……」
「世界は私のためにある。違う? そう教えてくれたのは、周りの人たちよ?」
「両親に限らず、使用人も、友人も、求婚者たちも……皆、私の望みを叶えるのが当然だと思ってた」
「でも、それは――」
「それは、“現実”だったの。私が口にすれば、望むものはすぐに手に入った。誰も私に逆らわなかった。だから、何がいけないの?」
絶句した。
まるで話が通じない。
自分で言うのもおかしいけれど――
あの整った容姿が、人を惹きつけ、酔わせ、従わせ……
それが、彼女――いいえ、“私”を、あんなふうに作り上げてしまったの?
でも……そんなのは、間違ってる。
絶対に。
「違う……。そんなの、違うわ……!」
ミレイナは勢いよく首を振った。
まるでその言葉を拒絶するように。
”私”はにっこりと笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
その動きは、まるで舞うように優雅で、けれどどこか、逃げ場を奪うようだった。
ミレイナの目の前に立った“私”は、そっとその指先を伸ばす。
顎に触れた指は、冷たくて、ひどく馴れ馴れしい。
「違わない。そしてあなたは、私なのよ」
「いくら記憶を失っても、あなたは私。何も変わらないわ」
その声には、確信と支配が混ざっていた。
「ふふ、あなたの目は、綺麗ね。……でも今は、曇ってる。哀れなほどに」
目を細め、楽しむように囁いたあと――
「正直になりなさいよ。ユリウスを愛しているのでしょう?」
「そ……れは」
ミレイナの胸が、小さく脈打った。
ほんの一瞬、“彼”の顔が、頭に浮かんでしまった。
あのときの眼差し。触れてくれた手。名前を呼ぶ声。
「ほら、そんな顔しちゃって。素直じゃないのね」
ミレイナは唇をかみしめた。
逃げていた感情が、じわじわとあふれてくる。
嘘をつくのが、もうつらくなった。
だから――
「……愛してるわ」
その言葉は、震えるように漏れた。
確かに、ここには愛があった。
でも――それだけじゃ、きっと足りない。
(愛している。だけど、それで、すべてが赦されるわけじゃない)
私は、真っ直ぐに目の前の“私”を見つめる。
「……でも、それでも。
欲しいものを手に入れることと、人を傷つけることは、別の話よ」
「誰かの気持ちを踏みにじって得たものなんて――それは、幸せなんかじゃない」
深く息を吐いて、きっぱりと言った。
「そんな幸せ……私は、もういらないわ」
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