48、ミレイナの日記帳
私は自室へと向かった。
(…...これが、私の部屋)
扉を開けた瞬間、見覚えのない光景が広がる。けれど、不思議なことに、ふっと懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
長く過ごしていた場所なのだと、身体だけが覚えているようだった。
思っていたよりもずっとシンプルな部屋だった。正直なところ、もう少し華美な空間を想像していた。
白を基調とした室内には、壁に一枚の絵画が掛けられているだけ。小さなテーブルの上には、静かに花瓶が置かれていた。
(でも......落ち着くわ)
記憶のない自分が、なぜそう思えるのかは分からない。けれど、胸の奥に静かに広がる安心感が、嘘ではないと教えてくれた。
――日記でも、あるかしら。
まずは、過去の自分を知る必要がある。
ふとそんな考えが浮かび、私は机へと足を運ぶ。
重厚な木製の机。何度も使い慣らされた跡があるのに、私はそこに座るのも初めてのような気がして、そっと息を整える。
そして、引き出しに手をかける。
カチリと小さな音を立てて開いたその中に、きちんと並べられた文具と――一冊の、革張りの日記帳があった。
一ページ目に記されていたのは、整った文字の並ぶ、淡々とした言葉だった。
◇〇月△日
――誰もが私に媚を売って、願いを叶えてくれるのに、あの男は何?
他の誰とも違う態度が、妙に癇に障る。
なのに、なぜか目が離せない。
◇〇月□日
気にしないようにすればするほど、気になって仕方ない。
……好き、なのかしら。これが恋というもの?
◇〇月◎日
あの女に向ける顔を、どうすれば私に向けてくれるのかしら。
羨ましい。悔しい。私を見てほしい。
◇〇月◇日
恋なんてしたことがない。
どうやって振り向かせればいいのか、わからない。
わからないのに、欲しくてたまらない。
◇〇月◆日
そうだわ。
あの女を、遠ざければいいのよ。
私だけを見ればいいのよ――。
◇●月△日
ユリウスとの婚約が決まった。
誰もが驚いていたけれど、当然のことよ。
でも――まだ、あの顔を私に向けてくれない。
それでも、私はもう引かない。
彼は、私のもの。
◇●月□日
あの女が、泣いていた。
私の隣にユリウスが立っているのを見て、顔を歪めていた。
ざまあみなさい。
……なのに、どうして、こんなに心が冷たいの?
勝ったはずなのに、満たされない。
彼の目は、まだ遠くを見ている。
あの女のことなんて、忘れればいいのに。
◇●月◎日
ユリウスは優しい人ね。けれど、それは誰にでも向ける優しさ。
私だけを見て、私だけを愛してほしい。
どうすれば、心のすべてを私にくれるの?
◇●月●日
――もう、逃がさない。
そこまで読んだところで、ミレイナはそっとページを閉じた。
胸の奥にずしりと沈む重さ。
それは日記に綴られていた感情なのか、それを綴っていた“かつての自分”なのか、もう分からなかった。
わからない。けれど――
……必死だったことは、伝わってくる。
歪んでいて、恐ろしいくらいに一方的で、それでも真剣だった。
彼がほしくて、愛されなくて、ただそれだけで崩れていくような自分が、確かにそこにいた。
“好き”という言葉で片づけたくない。
けれど――これも、私だったのだと思う。
私は、どこか――あまりにも、客観的だった。
ミレイナの過去が少しずつ明らかになっていきますね




