3、兄という人
部屋の扉が、静かに閉まる音を立てた。
先ほどまで傍にいた両親が、部屋を後にしたのだ。
「しばらく、ふたりで話してみたらどうかしら」
そう言い残して、母は父とともに部屋をあとにした。
(......行っちゃった)
正直、まだあの人たちを“両親”だとは思えない。
それでも、今の私を心配してくれたのはあのふたりだけだった。
だからこそ、その姿が見えなくなった途端、不安がいっそう胸に押し寄せてくる。
私は、ベッドの上で膝を抱えるように座り、残された白銀髪の青年を見上げる。
レオナルド・ヴァンデール――私の兄だという人。
けれど、その名前にも顔にも、何の記憶も浮かばない。
「……もう一度、確認させてくれ。記憶喪失というのは……本当なのか?」
低く落ち着いた声が、静かな部屋に響いた。
問いかけるというより、真偽を見極めるような口調だった。
私は俯き、シーツをぎゅっと握りしめる。
(――また、だ……)
もう何度目になるだろう。
誰もが私の言葉を疑い、目の奥で「どうせ演技だろう」と言いたげに見てくる。
胸が、痛い。
「......本当、です……っ」
思わずこぼれた声は、震えていた。
そのまま堪えきれず、目尻から涙が零れる。
「どうして……誰も……信じてくれないんですか……」
声が掠れて、最後の言葉はほとんど囁きのようだった。
レオナルドの目が見開かれたのがわかった。
疑念と怒りの色を宿していたはずの瞳が、わずかに揺れた。
「……すまない、ミレイナ」
彼は一歩、私のそばへ近づき、目線を合わせるように腰を落とした。
「泣かせるつもりはなかった。……ただ、今までのお前を思い出すと、どうしても……信じきれなかった。
だが、そんなふうに泣く姿を見て――すまなかった、本当に」
その言葉は、どこまでも率直だった。
私は袖で目元を拭いながら、わずかに首を横に振る。
「いいえ......私こそ、すみません......」
少しだけ、空気が和らいだ気がした。
けれど、胸の奥にずっと引っかかっていた問いが、どうしても消えない。
「……あの。ひとつ、聞いてもいいでしょうか?」
「……ああ」
レオナルドは静かに頷いた。
「私……なにか、罪を犯したのでしょうか?」
そっと、恐る恐る尋ねたその言葉に、レオナルドは目を伏せた。
まるで、答えに詰まったように――
「……その問いには、簡単に答えられない。だが――」
彼は一度言葉を切り、まっすぐに私を見た。
「おまえ自身が、それを知りたいと思うなら……話そう」
感情を抑えた静かな声。けれど、どこか優しかった。
けれどその優しさの奥に、未だ語られぬ過去の重さが滲んでいた。