36、始まりの音が聞こえる
建国祭の式典は、王宮の大広間で盛大に行われる。
長い赤絨毯の敷かれた回廊を、参列者たちが次々と通り抜けていく中――ミレイナは、ユリウスの隣を歩いていた。
「……緊張しているのか?」
小さく問われ、ミレイナはかすかに目を伏せる。
緊張、というより――何か、胸の奥がざわめいていた。
さっき見かけた、あの女性の姿。
柔らかく揺れる灰桜色の髪。深みのあるブラウンの瞳。
名も知らぬその人が、なぜか離れた場所からでも視線を引きつけた。
(……ユーフェミア。あれが、きっと……)
自分の手で辺境に嫁がせた、ユリウスの元婚約者。
ーーー顔を見ただけで胸が苦しくなる。
「足元、気をつけろ」
ユリウスがそっと、ミレイナの手を引く。
彼の手は熱を帯びていて、まるでこの広間にあふれる冷たい視線を、すべて遠ざけてくれるかのようだった。
(……あたたかい)
ユリウスの隣を歩いているだけで、不思議と呼吸が整う。
何を話せばいいのかも分からないのに、彼の手があるだけで、心が沈むのを止めてくれる気がした。
楽器の音色が高まり、式典が正式に始まる。
王族たちが壇上に現れ、祝辞の声が広間に響く中、貴族たちは互いに目配せしながら、式典後の舞踏会や歓談の段取りに気を配っていた。
(こんな場所にいて、私は……)
誰かに囁かれる。
過去を知らないはずの誰かに、笑われている気がする。
でも、それでも――
「……気にするな」
ユリウスの声が、すぐ隣から聞こえた。
見ると、彼はまっすぐ前を向いたまま、手を離さなかった。
(この人は……どうして)
かつて傷つけたはずなのに。
それでも今こうして、隣にいてくれる。
過去の自分は知らないままなのに――心が、じんわりと熱を帯びていく。
式典の華やかさと、人々のざわめき。
まるで別世界のような煌びやかさの中で、ミレイナはひとつだけ、確かなことを感じていた。
(私……この人の隣で、ちゃんと歩いていきたい)
それが赦されるのかは分からない。
でも今、この手のぬくもりを離したくはないと思った。




