32、まるで蜜月
それから――私たちは、何も言葉を交わさなかった。
でも、空気は確かに変わっていた。
帰りの馬車の中で、ユリウスは私の隣にぴたりと座ったまま、手を握って離さなかった。
無言のまま、ただぬくもりだけが伝わってくる。
私はそれを、振り払えなかった。
(……どうして)
怖くなかった。
むしろ、あたたかくて、心地よかった。
それが余計に――怖かった。
別荘に戻ったあとも、それは変わらなかった。
ユリウスは以前よりも自然に、私に触れるようになった。
朝の庭で手を取る。
本を読んでいると、背後から肩に手を添える。
夜、廊下ですれ違うだけで、指先が私の髪をそっと払う。
(……どうして、そんなことするの)
口に出せない問いが、何度も胸の中で渦を巻いた。
なのに、触れられるたび――私は嬉しかった。
心が揺れる。期待してしまう。
(まるで……私のこと、好きみたいじゃない……)
違う。そんなはずない。
でも――もし、そうだったら。
その“もし”が、私を甘く狂わせていく。
(……でも、もう……どうでも、いいのかも)
このまま、流されてしまいたい。
彼が私を望むのなら……何もかも委ねてしまいたい。
「ミレイナ」
夜、寝室の前でそう呼ばれたとき――私は、もう抵抗しなかった。
ユリウスの手が、私の頬を包む。
目が合った瞬間、唇が重なる。
……自然だった。必然だった。拒む理由なんて、どこにもなかった。
それから、私たちは――毎晩のように、抱き合った。
彼の手が、髪を梳き、耳朶を撫で、喉元を辿っていく。
衣擦れの音とともに、布が落ちるたび、肌に夜の冷たさが触れる。
でもそのたび、彼の体温がそれを包み隠してくれた。
(……この手の中にいれば、赦される気がする)
違うと分かっていても。
ユリウスの名を呼び、揺れる体を彼に預けているときだけ――私は、私を嫌いにならずにすんだ。
抱かれることに、安心を覚えた。
愛されている気がして、眠る前には彼のぬくもりを確かめないと、眠れなくなった。
彼の声。
熱い吐息。
何度も交わされる名の呼び合い。
夜毎、同じ夢を見ていた。
でもそれは夢じゃなかった。現実だった。
愛されているのか、ただ求められているだけなのか。
それすらもう、分からなくなっていた。
(でも、私は……)
確かに、微笑んでいた。
抱かれたまま、まどろむ腕の中で。
彼の熱がなければ眠れない体になっていた。
それが幸せなのか、依存なのか――もう分からなかった。
この静かな別荘の中、ふたりだけの蜜月。
狂いそうなほど静かで、でも確かに甘く、熱い時間。
(このままずっと、こうしていられたらいいのに)
そんなことさえ思い始めていた。
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