28、もう戻れない場所に
ユリウスに抱きしめられながら、私はそっと目を閉じた。
その腕はあたたかく、でもどこか痛いほどに優しくて――
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
(どうして……そんなにも、優しいの……?)
優しくされるたびに、私は自分の中の罪に、ますます囚われていく気がした。
それでも、こんなふうに抱きしめられてしまえば――
(きっと、もう……離れられなくなる)
心の奥で、ぽつりと何かが崩れる音がした。
抗うほどに、逆に惹かれてしまう。
そのとき、空がふいに翳った。
ぽつ……ぽつ……
湖面に、静かな水音が落ちる。
小さな滴が頬を打ったかと思うと、すぐに空は本格的な雨に変わった。
「……っ、雨……!」
ユリウスが顔を上げ、辺りを見回す。
「あそこに小屋がある。走れるか?」
視線の先には、湖畔の森の奥に、ぽつんと佇む小さな避難小屋があった。
「……ええ」
私は、彼の言葉に小さくうなずいた。
そしてふたりで、雨の中を駆け出す。
水音と土の匂いが、全身を包み込む。
裾が濡れるのもかまわず、私はユリウスの背を追いかけた。
――雨音の中でも、彼の存在だけは、はっきりとそこにあった。
濡れた髪が頬に張りつく頃、私たちはようやく古びた小屋の軒下へとたどり着いた。
古びた避難小屋の中は、雨風をしのげるだけの質素な造りだった。
木の壁には隙間風が通り抜け、湿った空気が漂っている。
「……冷えるな」
ユリウスが、濡れた前髪を手で払いながら言った。
彼の外套も、シャツも、水を含んでしっとりと肌に貼りついている。
私も、裾の重たさに思わず目を落とした。
「……これ、乾かさないと風邪を引くわね」
水滴がぽたぽたと床に落ちる。
足元からじんわり冷えてきて、震えがこみ上げた。
「脱いだ方がいい」
ユリウスが静かに言った。
その声に驚いて顔を上げると、彼は視線を逸らしながら、自分の上着のボタンに手をかけていた。
「このままじゃ、余計に体を冷やす。……火が起こせるか探してみる。君も……無理のない範囲で、濡れた服は脱いでおいてくれ」
その言葉に、私は一瞬だけ戸惑い――そして、こくりと頷いた。
ユリウスが背を向けて、小屋の隅にある木箱を探りはじめる。
その間に私は、そっとドレスの背中に手を伸ばした。
(……こんな状況、前なら絶対になかったのに)
頬が自然と熱くなる。
でも、それ以上に体の冷えが勝っていた。
濡れた布を脱ぎ捨て、私はひざを抱えて座り込む。
ユリウスの外套が、そっと差し出されるのはそのすぐあとだった。
「これで少しは、冷えをしのげるだろう」
差し出された外套には、彼の体温がまだ残っていた。
「ありがとう……」
短くそう答えて、私はそれを羽織る。
少しだけ――ほんの少しだけ、あたたかかった。
……このあとどうなるか、もう分かりますよね?




