26、昨日より、遠く
朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。
けれど、そのまぶしさより先に私を包んだのは、胸の奥に残る――重苦しい気配だった。
(……夢、じゃなかったんだ)
枕元に手を当て、昨夜の記憶を反芻する。
夢の中の“私”は、誰よりもユリウスに執着し、周囲を踏みにじっていた。
まるで、それが当然だとでもいうように。
(あんな女が、本当に“私”だったなんて)
信じたくない。でも、否応なく心が覚えている。
――確かに、あれは私だった。
今日もユリウスと朝の庭園を散歩する約束をしている。
着替えを済ませ、庭へ出ると、ユリウスがすでに立っていた。
彼は、私を見つけるとふっと表情をやわらげる。
「おはよう、ミレイナ。……よく眠れたか?」
その何気ない問いかけに、胸がきゅっと締めつけられた。
まるで、すべてを見透かされているような気がして。
「……ええ。……ちゃんと、休めたわ」
嘘だった。
けれど、それ以上の言葉が喉につかえて出てこない。
昨日までは自然に視線を合わせられていたのに、今日はなぜか……怖かった。
近くにいるのに、遠く感じる。
「……顔色が優れないな。寒いのか?」
ユリウスの声は相変わらず穏やかだった。
責めるでもなく、詮索するでもなく、ただ私の体調を気遣っている。
(優しい……)
それが、余計に痛かった。
あんな夢を見たあとでは、彼の優しさが、まるで罰のように感じてしまう。
「……ごめんなさい、ちょっと疲れているのかも」
「そうか。無理はするな。……今日は屋敷で、のんびり過ごそう」
その言葉に、私はまた、かすかにうなずくだけだった。
ユリウスの隣を歩くのが、こんなにも居心地悪く感じるなんて。
昨日は、あんなに安らいでいたのに。
(また、同じことを繰り返してしまうのかしら)
(このまま傍にいたら、私はまた……彼を傷つけるのかもしれない)
歩きながら、ふと自分の手元に目を落とす。
昨日、無意識に彼の腕を取ったこの手が――今日は、異物のように重く感じられた。
***
庭園を歩くミレイナの横顔を、何度も目で追っていた。
言葉は少なかった。
けれど、その静けさが“心地よい沈黙”ではないことは、すぐにわかった。
(……昨日とは、どこか違う)
彼女は視線を合わせようとせず、時折、小さく息を詰めるような仕草をしていた。
歩幅を合わせても、歩調は揃わなかった。
隣にいるのに、心が離れていくのが、わかってしまう。
(……どうしたんだ)
昨日までは、少しずつ距離が縮まっていると感じていた。
ほんのわずかでも、心を許してくれはじめていたような、そんな気がしていたのに。
今朝の彼女は、まるで……何かを恐れているようだった。
(俺のせいか? それとも……)
わからない。ただ、はっきりと感じた。
彼女がまた、心の扉を少し閉ざしたことを。
そのことに、思いのほか――胸がざわついた。
(……寂しいと思っているのか、俺は)
その感情に、自分でも少し驚いた。
彼女の心の距離に一喜一憂しているなんて、いつの間に。
彼女の過去を、すべて許したわけじゃない。
けれど――
(今、俺の目の前にいる彼女は、もう……違う人間に見える)
それなのに、その変化を……一番信じていないのが、彼女自身なのだとしたら。
(……自分を、赦せていないのか)
胸の奥に、名のつかない痛みが走る。
何もしてやれない無力さだけが、手のひらに残っていた。
まだ、何も始まってなどいない。
けれど……それでも。
(どうして、あのときの“温もり”を、もう一度求めてしまうんだろうな)
その日はもう、彼女の笑顔を見ることはなかった。




