20、怖いのに、怖くない
翌朝。
カーテンの隙間から差し込むやわらかな光が、白いシーツを照らしている。
私はその中で、身じろぎもせずに横たわっていた。
心は、まだ深い水の底に沈んでいるようだった。
昨夜のことを思い出すたび、胸の奥がひどく締めつけられる。
恐怖が、理屈を超えて全身に刻み込まれてしまったようだった。
そのとき、控えめに扉がノックされる音がした。
「ミレイナ様、失礼いたします。お食事と着替えをお持ちしました」
入ってきたのは、若い侍女だった。見慣れた顔。優しげな笑み。
……怖く、ない。
私はぼんやりとその事実に気づく。
彼女が近づいても、胸は波立たなかった。
(女性だから……)
そう思った瞬間、何かが心の底で音を立てて崩れた気がした。
私は――男性が、怖いの、かも......
鏡の前に座り、髪を梳かされながら、私は震える声でぽつりと漏らす。
「……わたし、このままじゃ……ユリウスの隣に立てない」
彼に償いたいと思っていたはずだった。
でも、近づかれるだけで怖くて、触れられることすらできない。
(やっぱり……離婚したほうがいいのかもしれない)
そう思った途端、胸が痛んだ。
そして、侍女が少し躊躇いながら言った。
「……あの、レオナルド様が、お見舞いにお越しです」
私は、びくりと身体を強張らせた。
(男の人……)
兄とは、この前の面会で、少し打ち解けた気がする。
でも今、扉の向こうに“男性”がいると思うだけで、背筋が凍る。
「……入っても……大丈夫、よ......」
おずおずと返事をする私に、侍女が頷いた。
「はい。無理なさらず、すぐにお下がりいただきますので」
やがて、扉が静かに開いた。
現れたのは、落ち着いた紺のスーツに身を包んだレオナルドだった。
柔らかな白銀の髪に、まだ見慣れないけれど、不思議と安らぐ眼差しを湛えていた。
――怖い。
けれど、どこか――違う。
私は、自分でも驚くほど自然に、レオナルドの顔を見つめていた。
「ミレイナ。顔色が悪いな……無理をしなくていい」
彼の声は穏やかで、どこまでも優しかった。
胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなる。
(……怖くない)
どうしてだろう。ユリウスにも、感じていたのに。
この人だけは、怖くない。
「……お兄さま」
そう呼んだ瞬間、胸がいっぱいになった。
何かが緩んで、私は小さく、涙を零した。
レオナルドは驚いたように目を見開き、そっとそばにしゃがみ込む。
「……泣かなくていい。誰もおまえを責めてなどいない」
彼の手が私に触れることはなかったけれど――その距離が、心地よかった。
(私……壊れちゃったのかな)
そう思った。けれど、そのことを責める声は、今はどこからも聞こえてこなかった。




