12、終わりを始める夜
馬車の中で、私はずっと窓の外を眺めていた。
風に揺れる草木や、遠ざかっていく町並みをぼんやりと目で追いながら、脳裏では先ほど聞いた話が何度も繰り返されていた。
ユーフェミア夫人。
ユリウスの元婚約者。そして、私がその縁を断ち切った張本人――。
「……本当に、そんなことを……私が?」
馬車の揺れに身を委ね、私は唇をかすかに噛んだ。
思い出せない過去。けれど確かに、誰かの人生を狂わせるほどの行動を、自分がとったのだという事実。
お兄様の言葉が、胸の奥で静かに響いていた。
“まずはユリウスと、きちんと話し合え”
私は、知りたい。
たとえどんな過去が待っていても、もう逃げたくない――そう思っていた。
屋敷に戻ったとき、私はまっすぐに執務室へ向かおうとした。
でも、玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、先に声をかけられる。
「……ミレイナ」
立っていたのは、ユリウスだった。
私を見つけた彼の表情は、驚きと安堵が入り混じったような、複雑なものだった。
「……実家に戻ったと、聞いた」
「ええ。少しだけ……兄に、会ってきたの」
私の言葉に、彼はそっと目を伏せる。
まるで何かを察するような、静かな沈黙。
私も、しばらく言葉を探していた。
けれど、ここで逃げたら、きっとまた何も変わらない。
「――今夜、少し時間をもらえるかしら」
「あなたと……話がしたいの」
その言葉に、ユリウスの目がかすかに揺れた。
「……ああ」
短く、けれどしっかりと頷く彼の声が、やけに深く響いた。
それはまるで、彼もまた、何かを決めたような――そんな響きだった。
そして、夜が訪れる。
寝室に静かなノックの音が響いた。
「……入るぞ」
低い声とともに扉が開き、ユリウスが姿を現す。
室内の蝋燭の灯りが、彼の赤い瞳を柔らかく照らしていた。
私はベッドの脇の椅子に腰掛けたまま、静かに彼を見上げる。
彼もまた、部屋の中に入ってくると、しばらく無言で私を見つめていた。
「……話とは、なんだ?」
短く、しかし真剣な声音。
彼がただならぬ気配を感じ取っていることが伝わってきた。
私は、ほんの少し唇を引き結び、それから息を吸い込んだ。
「記憶を失ってから……以前の私のことを知って、正直、まだ受け止めきれていないの」
「でも……考えたの。いろいろなことを」
彼がわずかに眉をひそめたのを見て、私は言葉を続けた。
「――私たち、離婚しましょう」
沈黙が落ちた。
ユリウスの目が、ほんの一瞬、確かに見開かれた。
「……は?」
低く漏れたその声に、私は思わず息を止めた。
驚きと、苛立ちと、なにか別の――説明のつかない感情が混ざったような声音。
なぜ……そんなふうに驚くの?
私は……ただ謝りたかった。
すべてをなかったことにはできなくても、せめて、けじめだけはつけたくて……。
なのに――どうして、そんな目で私を見るの……?
ユリウスの表情には、怒りとも、哀しみとも違う、名もなき感情が滲んでいた。
その目に映る感情の正体が、どうしてもわからなかった。
――私はただ、彼の赤い瞳を見つめ返すしかなかった。
あのプロローグに繋がります。




