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第5話 旅立ちの朝

 美咲が結婚の話を切り出した夜、ベッドに横になった瞬間に時輪を金縛りが襲った。すると直ぐに時輪の意識は浮遊して、時空を彷徨い始めた。

 しかし…今回は、過去でも未来でもなく、様々な可能性の分岐点を巡る旅だった!


― 母親が父親から逃げ出した世界線を見た。そこでは若い時輪が苦労しながらも、より健全な心で成長し母親と一緒に暮らし続けていた。


― 時輪が大学で観光学を学び、ツアーコンダクターになった世界線を見た。ーそこでは彼女はより多くの人々に喜びを与えていた。


― 時輪が恭介と出会わず、別の人生を歩んだ世界線も見た。ーそこでは別の男性と結婚し子田舎で暮らしていた。


― 恭介との離婚を決意した世界線をみた。ー長年抑圧してきた自己実現への欲求を解放するために…


― そして、恭介が現れ、黙って彼女を見つめ返した。

 …長い沈黙が流れた。

 恭介は、小さく頷いた。

 その瞬間、又彼女の意識は激しく揺さぶられた。天井へと引き上げられるような感覚の次に、現実に引き戻されるような感覚。そして、又別の時間を旅するような感覚がした。


「お、お母さん!」

「ん?何?」

気がつくと、美咲と時輪が食事をしている瞬間に割って入ってしまった!

「これからの話してるのに!ちゃんと話聞いてよ!」

「ん?うん、聞いてるわよ!」…そう言われても…え?、何?

「あのね、よくよく考えて、私も覚悟を決めたの!私は彼と結婚する。だからお母さんにも幸せになってほしい!お母さんは、お母さんの人生があるよね!お父さんと別の道を歩む人生も。」

「み、美咲、ありがとう!お母さんを理解してくれたのね!」そう!覚悟ね、覚悟するわ!

 いつの間にか、大人に成長した娘の言葉は、時輪の心を力強く支えた。


 離婚が成立した翌月、時輪は長年勤めてきた精神科病院に辞表を提出した。室長は驚いた様子で彼女を見つめた。

「山科さん、あなたのような経験豊かなスタッフを失うのは大きな痛手です。」

 時輪は心の中で小さくため息をついた。この病院での日々が無意味だったわけではない。多くの患者と向き合い、彼らの心の痛みに寄り添ってきた。しかし、薬物治療中心の病院の在り方に、彼女は次第に違和感を覚えるようになっていた。

「私は、もっと患者さん一人ひとりと向き合える場所で働きたいんです」

 時輪は静かに言った。

「薬だけでは癒せない心の傷があります。私はその傷と向き合いたい」

 室長は難しい表情を浮かべ、遺留しようとしたが、時輪の覚悟を決めている雰囲気に、無駄だと悟り言葉を続けた。

「時輪さん、あなたは『召命』を見つけたようですね。」

「『召命』?」


 灰色の空の隙間から、朝日が巨大な都市の造形物たちを淡い輪郭に変えていく。東京の街に来たら空も灰色一色だ。

 時輪自身の意思で選んだ新居「ニューメゾン下目黒」の1LDKは五反田駅から徒歩15分、西五反田に位置している。

 周辺には古いマンションやリノベーションされた雑居ビルが立ち並び、道沿いには少し古びた喫茶店や小さな商店が点在している。

 朝は通勤通学の歩道へと様変わりする。スーツを着たビジネスマンやカジュアルな服装の若者たち、忙しさに追われる人々が行き交う。


 山科時輪の足音が、敷き詰められた薄紅色のタイルブロックの舗装をリズミカルに叩き続ける。これまでの渦巻く感情を整理しながら…

 五反田駅に近づくにつれ、信号のアラーム音、人々の声、車のエンジン音、踏切の音が混ざり合い、街の喧騒はまるで東京の心臓が鼓動しているかのように感じる。


 信号待ちをしている時輪は周囲の人々の表情を観察した。誰もが忙しそうに見えるが、その中にはそれぞれの物語が隠されている。と言う事を想い始めると、彼女はその重みに圧倒されそうになり目眩がした。

 クリニックに向かう最後の信号を渡った時、彼女の視界に歩道端の小さな花壇に咲く微かな色彩が飛び込んできた。

「あれ?こんな所に?」その花々は、灰色の世界の中で勇敢に立ち上がっているように見えた。

「今日も、誰かの心に寄り添うことができるといいな!」

 彼女は意識的に呟き、小さな花の姿を希望と勇気の象徴に変えた。この灰色の東京の中で、少しでも多くの人々の心に温もりを届けたい。

 駅前の「五反田精神科クリニック」に到着し、カードキーを翳して暗証番号を押した。


 カチャ!…彼女の新しい始まりの音がした。

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