第2話 能力の覚醒
「お前はいつもそうだ!何一つまともにできないのか!」
父の暴力が特に激しかったある夜、15歳になっていた時輪は、今日も自分の部屋の隅で丸くなり、両手で耳を塞いでいた。リビングからは、割れる食器の音、父の怒鳴り声、母の嗚咽が混ざり合って響いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい...」バタン、ドン、と鈍い音が続いた。
時輪は目を閉じ、強く、強く耳を塞いだ。その時、不思議な感覚が彼女を包み込んだ。
体が急に軽くなり、まるで重力から解放されたような浮遊感。時輪の意識は自分の身体から抜け出し、天井近くまで上昇した。彼女は下を見おろした。そこには、部屋の隅で震える自分自身の姿があった。
突然、彼女の内側で何かが変化した。浮遊していた意識が急速に体へと戻っていくのを感じた時、別の誰かが自分の体に割って入った!
彼女の体が立ち上がった。しかし、その動きは普段の時輪のものではなかった。背筋は伸び、肩は張り、顔の表情はリラックスして、目には強い光が宿っていた。
彼女は部屋を出て、堂々とした足取りでリビングへと向かった。いつもの時輪なら絶対にできない仕草だった。
バシャン!!…思いっきりドアを開けたら戸が外れかけた。
リビングでは、父親が立ったまま母を見下ろしていた。母は床に座り込み、頬を押さえていた。
「止めなさい!!!」
彼女の口から出た声は、時輪自身のものであると同時に、低くてドスの効いた、威厳に満ちた、まるで首相相手に演説する女性国会議員の様だ。
「もういい加減になさい!!!」彼女の口から言葉が流れ出す。
「こんなことをして、あなたは何を得るつもりなの?!」
父と母が驚いて振り向いた。父の目に戸惑いの色が浮かんでいる。
「時輪?お前、何を言っている?部屋に戻れ」父が言った。
「あなたは自分の弱さを暴力で隠しているだけじゃない!!!」時輪の体を借りたその声は冷静に続けた。
「本当に強い人間は、弱い人を打ちのめしたりしない!!それが分からないの?!」
「いい加減に、弱い自分に向き合いなさい!!」
「くそ生意気な!」父の顔が怒りで歪んだ。
彼が手を上げた瞬間、時輪の体を借りた存在は一歩も退かなかった。
「叩いてみなさい!!そうすれば、あなたがどれだけ哀れな人間か、それがはっきりと分かるわ!!!」
その声は氷のように冷たく、毅然として、どっしりとしていた。
父の手が宙に止まった。
一瞬の静寂が部屋を支配した。
時輪の体を借りた存在は、じっと父の目を見つめていた。父親の顔には怒りと戸惑いが混ざり合っていた。
「こ、こ、この小娘!生意気な…!」
父の怒りが再び爆発し、彼の手が振り下ろされようとした瞬間、時輪の体が驚くべき速さで動いた。細い指が父の腕を掴み、しなやかな動きで受け流す。まるで長年の武道経験があるかの様に、父の重心が崩れた瞬間、時輪の両手が父の胸に触れた。父の体が宙に浮き、後方へと放り出された。体重80キロを超える大柄な男が、少女の手によって弧を描いて飛ばされた。
バシン!!
父の背中が壁に激しくぶつかり、飾り棚が揺れた。花瓶が落ち、床で割れる音が鋭く響いた。父は痛みに顔を歪め、床に崩れ落ちた。
「あなた!」母が悲鳴を上げた。
時輪は静かに立っていた。15歳の少女の体からは想像できない力強さと安定感があった。彼女の目は冷静さを保ったまま、床に倒れた父を見下ろしていた。
「あなたはもう誰も傷つけない!!」
彼女の声は穏やかだったが、その言葉には揺るぎない決意が込められていた。
「この家で暴力を振るうのは、今日で最後にしなさい!!」
父は震える手で壁を支え、ゆっくりと体を起こした。彼の顔には今まで見たことのない恐怖の色が浮かんでいた。
「分かったわね!!!」
「お前…お前は時輪じゃない」彼はか細い声で言った。
「お前は何者だ?」
「そして、あなた!!」時輪の体を借りた存在は今度は母親に向かって言った。
「時輪?...あなた...」
「なぜ立ち上がらない?!この人から離れて、逃げればいい!!自分の人生を生きればいい!!勇気を持って踏み出しなさい!!」
「私たち母子を守るのはあなたの責任なのよ!!!」
母親は呆然とした表情で、全て見透かされた様な恥ずかしさに震えていた。そして、泣きながら、混乱した表情で娘を見上げた。
「と、と、時輪?...あなた?」
その時、時輪の内側で何かが揺らいだ。借りていた力が急速に抜けていくような感覚。突然、彼女は時輪に戻った。
時輪の眼前には、青ざめて血の気が引いた父と母がいた。父の太い眉の下の目は、驚きと恐怖で見開かれ、母親の瞳孔は小さく縮んでいた。