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第21話 青い鳥、羽ばたく!

 「山科さん!?大丈夫ですか?」

 

 時輪が目を開けると、理沙が心配そうに顔を覗き込んでいた。クリニックの相談室に戻っていた。

「ごめんなさい!」時輪は微笑んだ。「…少し考え事をしていたみたい」

 理沙は安心したように息をついた。「そうですか。突然、遠くを見つめるようになったので...」


「拓人さんの話をしていましたね?」時輪は話題を戻した。

「はい」理沙はうなずいた。

「でも、実は...不思議なことがあったんです」

 時輪は静かに耳を傾けた。


「あの後、拓人と康二が突然、私のアパートに来たんです」理沙の声には驚きが混じっていた。

「二人揃って…」

「それはいつのことですか?」時輪は尋ねた。

「その時は最悪の抑うつ期で、卒業が危うい状態だったんです。誰とも会いたくなくて、部屋に引きこもりのような生活をしていた頃...」


 理沙の瞳が過去を見つめるように遠くなった。

「二人は玄関先に立っていました。拓人の手には花束が、康二は紙袋を持っていて...」


 理沙は当時の光景を克明に思い出していた。


 彼女が驚いた表情でドアを開けると、二人は申し訳なさそうに頭を下げた。

「話を聞いてほしい」と拓人が言った。

 理沙は警戒しながらも、二人を部屋に入れた。

 拓人は花束を渡し、康二は紙袋から缶コーヒーを取り出した。


「何の用?」理沙は冷たく尋ねた。

「謝りに来たんだ」拓人が言った。

「俺たちは...お前を傷つけた!」

 理沙は信じられないという表情を浮かべたが、二人は続けた。

「お前が...双極性障害かもしれないってこと、考えもしなかった」拓人は言った。

「ただお前が気まぐれだとか、俺たちを騙してるとか思ってた」


「精神医療の石川先生に...言われたんだ!」康二が付け加えた。

「お前が双極性障害と闘っていることを、人として理解してやれって」

 理沙は絨毯に視線を落とした。

「そう...」

「だから...謝りたい」拓人が言った。

「お前を人間扱いしなかったことを!」

「噂話もしてた事も…」康二も言った。


「すまない!!」2人が同時に頭を下げた。

 理沙は黙ったまま、彼らの言葉を聞いていた。


 拓人はさらに続けた。「でも、お前にも言いたいことがある!」

 理沙は顔を上げた。「え、何?」

「お前は、自分の状態を受け入れるべきだ!」拓人はまっすぐに彼女を見た。

「もし本当に双極性障害なら、それを隠したり、否定したりするんじゃなくて!」

「そうだよ!」康二も言った。


「お前には素晴らしいところがいっぱいある。あの情熱的な絵とか、人の心を読むような感性とか!」

「でも、お前が自分を認めないと、俺たちも周りも混乱するんだ!」拓人は真剣な表情で言った。「お前が自分を受け入れれば、俺たちも理解できる。そうすれば、もっと...」

「みんながお前を支えられるかもしれない」康二が言葉を継いだ。


 理沙はその言葉を聞いて、初めて涙を流した。

「私も...わからなかったの。自分が何なのか」

「今は?」拓人が尋ねた。

「少しずつ...わかってきたかも」理沙は小さく答えた。



 その日以来、理沙は少しずつ変わり始めたという。

 自分の状態を人に話せるようになり、波が来ることを予測して対処するようにもなった。


「石川先生には本当に感謝しています」理沙は微笑んだ。

「あの時、拓人と康二を諭してくれなかったら...」


 時輪は静かに頷いた。「石川先生は、精神医学の観点から適切なアドバイスをされたのでしょうね」

「ええ」理沙は言った。

「でも不思議なんです。拓人の話では、先生が突然、二人を投げ飛ばしたらしいんです。合気道の技で!」

 時輪は思わず咳き込んだ。「そ、そうなんですか…」

「はい。拓人は『あんな年配の女性なのに、すごい合気道の使い手だ』と言っていました」理沙は笑顔を見せた。「おかげで、二人は本気で反省したみたいです」

 時輪は苦笑いを浮かべた。「そうですか...」


「あれから私は...自分の波を隠さなくなりました」理沙は真剣な表情で言った。「調子が良い時も悪い時も、ありのまま人に伝えるようにしています。そうしたら、少しずつですが、理解してくれる人が増えてきて...」

 窓から差し込む光が、理沙の横顔を柔らかく照らしていた。


「あの二人が私に言ってくれたことは、今でも心の支えになっています。拓人くんと康二くんのおかげで、私は少しずつ前に進めています」

 時輪は静かに頷いた。

「人は変われるものですね。拓人さんも康二さんも、あなたも」

「ええ」理沙は淡い笑みを浮かべた。「そして、山科さんのおかげで、私はもっと変われると思います」


 診察室の時計の針が、小さな音を立てて動いていく。その音は春の雨のように優しく、二人の間に満ちていく沈黙を心地よいものにしていた。

「次回は、どんな絵を描いているか見せてください」時輪は微笑んだ。

「はい、喜んで!」理沙も笑顔で答えた。

「最近は少しずつ、また筆を持てるようになってきました」

 

 彼女が部屋を出て行った後も、窓から差し込む光は変わらず部屋を満たしていた。時輪はしばらくの間、窓の外を眺めていた。


 数ヶ月後、久しぶりにクリニックを訪れた理佐が、職場復帰の朗報を時輪に話してくれた。

 理沙は、職場に障害を打ち上げ、勤務日数をセーブしていると言う。

 一瞬、彼女の目は遠くを見つめたが、時輪を見つめ返して言った。


「私が、今日描いてきた絵です。」 

 取り出した白いカンバスに描いた青い鳥が羽ばたいているように見える。


「小学校の時から、探していました。青い鳥を…それは、私の中に、ずっといたんです」


 五反田の街並み。高層ビルと古い住宅が混在する風景。その中でそれぞれの人が、見えない荷物を背負いながら生きている。


 そして時輪は…その荷物を少しだけ軽くする手助けができる人になりたいと思っていた。



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