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第四話壱「出口が見える夜」

 異変は、ひどく静かだった。


「……水嶋さんだけです」


 医師は、そう言ってカルテを閉じた。


「眠っています。呼吸も安定していますし、刺激にも反応はあります。

 ですが……意識が戻りません」


 喰崎真希は、ベッドに横たわる青年を見下ろした。


 水嶋優斗。

 苦しそうな顔ではない。

 それなのに――何かを決め終えた人の表情だった。


「……分かりました」


 それ以上、聞くことはなかった。

 真希は、静かに目を閉じる。



 足元が、沈んだ。


 引き込まれる感覚は、もう慣れている。

 それでも今回は、少しだけ重かった。



 長い通路だった。


 無機質な壁と床。

 足音は返ってくるのに、現実の手応えがない。


 その先に、光がある。


 出口だと、すぐに分かる。

 あまりにも分かりやすい、帰り道。


 通路の途中に、水嶋優斗が立っていた。


 こちらを見る目には、警戒と戸惑いが混じっている。


「……誰ですか」


「あなたの話を、聞きに来ました」


 一拍の沈黙。


「……夢、ですよね。ここ」


「そうです」


 短く答えると、水嶋は小さく息を吐いた。


「やっぱり」


 助けを求める声じゃない。

 拒むでもない。


 ただ、測っている。


「……帰りましょう」


 真希が言うと、水嶋は出口を見た。


「出口、見えてますよね」


「ええ」


「でも――」


 水嶋は、しばらく光を見つめてから、言った。


「どうせ目が覚めても、

 あの生活に戻るだけですよね」


 真希の喉が、わずかに詰まる。


「金の問題は、解決してない。

 仕事も、余裕があるわけじゃない」


 淡々とした声だった。

 だからこそ、重い。


「助けてって言って、

 困らせた相手とも、気まずいままです」


 水嶋は、出口から視線を外す。


「ここにいれば、

 少なくとも……何も期待しなくて済む」


 真希は、すぐに言葉を返せなかった。


「前に、一度だけ……助けてって言いました」


 床に目を落としたまま、水嶋は続ける。


「友人に、金を貸してました。

 会社が倒産して……どうしようもないって」


「返せる時でいいって言いました。

 本気で」


 それでも、返ってこなかった。


「生活が苦しくなって、

 このままだと周りに迷惑をかけると思って」


 だから――


「その友人に、言いました」


「少しでいいから、返してほしいって。

 無理なのは分かってるけど……助けてほしいって」


 短い沈黙。


「怒られませんでした」


 水嶋は、かすかに笑う。


「ただ……困った顔をされて」


「どう返せばいいか分からないって」


 それで、距離ができた。


 誰も、悪くなかった。

 だからこそ、残った。


「分かったんです」


 水嶋は、静かに言った。


「助けてって言うと、

 人を困らせるんだなって」


 出口の光が、わずかに揺れる。


「だったら……戻らない方が、楽です」


「ここにいれば、

 誰にも困った顔をさせなくて済む」


 それは逃げではなかった。

 現実を知った末の、拒絶だった。


 真希は、一歩近づく。


 出口に向かって手を伸ばす。

 けれど、触れられない距離で止まる。


「……水嶋さん」


 名前を呼ぶ。


「一人じゃない」


 精一杯、それだけを言った。


 水嶋は、すぐには答えなかった。


 否定もしない。

 肯定もしない。


 ただ、出口を見ないまま、そこに立っている。


 夢は終わらない。


 水嶋は目を覚まさない。


 真希は、出口と彼の間に立ったまま、

 その場を離れなかった。


 救えていない。


 出口の前で、

 夜は、まだ続いていた。


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