第三話「呼ばれない夜」
その夜、喰崎真希は呼ばれなかった。
悪夢に誘われる感覚も、
誰かの眠りに引きずられる気配もない。
ただ、夜が来て、
時間だけが進んでいく。
眠ろうと思えば、眠れた。
それが分かっているから、余計に目を閉じられなかった。
夢に入る理由が、なかった。
ベッドに腰を下ろしたまま、
真希は天井を見上げる。
時計の秒針が、一定の間隔で音を刻んでいる。
救う人も、救われる人もいない夜。
――こんな夜は、久しぶりだった。
「……大丈夫」
小さく口に出してみる。
返事は、ない。
誰に向けた言葉だったのか、
自分でも分からなかった。
「帰ろう」
今度は、少しだけ声に出す。
どこへ?
問いが、すぐに返ってくる。
帰る場所がある人にしか、
この言葉は使えない。
「あなたのせいじゃない」
それも、違う。
誰の話をしているのか。
責任がどこにあるのか。
何一つ、分かっていないのに。
真希は、息を吐いた。
言葉が、使えなくなっている。
誰かを前にしていないのに、
自分にすら、言えない。
ふと、
思い出した。
眠っているのに、
こちらを見ていた人。
目を閉じているはずなのに、
確かに、分かっていた。
――ここは、夢ですね。
声は、聞こえなかった。
でも、そう言われた気がした。
引き戻そうとした手が、
途中で止まった感覚だけが残っている。
あの夜、
何かを言われたわけじゃない。
責められたわけでも、
拒まれたわけでもない。
ただ――
踏み込めなかった。
助けを求めていない目だった。
だからこそ、
忘れられなかった。
真希は、膝の上で手を握る。
夢に入れない自分は、
ただの人間だった。
特別でも、
強くもない。
誰かの夜に踏み込めないなら、
自分は何をしているのだろう。
助ける人間なのか。
それとも、
助けられない現実から
目を逸らしてきただけなのか。
考えれば考えるほど、
答えは遠ざかる。
それでも。
誰も呼んでいない夜に、
ここにいることだけは、やめなかった。
眠らない。
逃げない。
それが、今の自分にできる
唯一のことだった。
夜は、静かに終わっていく。
朝が来て、
世界は何事もなかったように動き出す。
次に呼ばれるとき、
自分は、何を言うのだろう。
何も言えないまま、
それでも、手を伸ばせるだろうか。
答えは、まだ出ない。
ただ、
呼ばれない夜があったという事実と、
踏み込めなかった感触だけが、
真希の中に残っていた。




