本編①〜ノア〜
父は諸外国との関係を保つ、所謂外交官のような仕事をしていて朝が早い。そして、この世界の伝統として、当主…我が家で言えば父が家を出る時は家族総出で見送りをしなくてはいけない。つまり、父の朝が早ければ私たちも早起きをしなければいけないのだ。
「行ってらっしゃいませ、あなた」
「「「行ってらっしゃいませ、お父様/お義父様」」」
まずは当主がいない間に家を守る夫人が、続いて子供たちが挨拶をする。子供たちは長男がいる場合は長男のみ先に、それ以外は一斉だ。家によってはものすごく時間が掛かってしまうからこうなったらしい。
「ああ、行ってくるよ」
父はこちらを振り向いて一度微笑んでから馬車に乗り込んだ。やがて父の馬車が見えなくなると、一番上の義姉が私を一瞥してから義母に声をかける。
「お母様、なぜ私はこんなに早く起なくてはいけないのですか!?」
「そうです、私もっと寝ていたいですわ!」
真ん中の義姉も同調して文句を言う。二人の言葉に義母が冷ややかな目線を向けながら口を開けた。
「そのくらい我慢なさい。おかげで私達はこうして優雅に暮らせてるのだから」
義母はお金の為に父と結婚したのだろうか?実母を愛していた父が義母を好きになるのもあまり想像がつかないが…そのあたりは前回わからなかったな。
「ちょっとエラ!聞いているの!?」
「あ…何ですか?」
義姉の怒鳴り声に意識が引き戻される。いつの間にか義母もいない。やばい、まったく聞いてなかった。
「お洗濯をしておきなさいと言ったのよ!いいわね!?」
「はい、お義姉様」
やはり私にとってはかなり昔のことだから忘れてることがある。そういえば実家では父を見送った後にいつも何かしらの用事を言いつけられていたっけ。今はこの状況ですら懐かしくて楽しい。別に洗濯が好きなわけではないのだが戻ってきたことを実感できて悠々と洗濯を進める。これが終わったらどうしていたっけ…。ああ、確か家を抜け出していたのか。父が帰って来るギリギリまで外にいたと思う。それを思い出したからにはさっさと仕事を終わらせて家を抜け出そう。町娘の服に着替えて抜け出そうと玄関から出れば、当然門には衛兵が立っていたが私が通るときは反対の方向を向いて見ないふりをしてくれた。ありがたい。私が抜け出したことが父にバレれば彼らは解雇されてしまうだろうに。
「エラちゃん」
頭の中に声が響く。あたりを見回すと二つ並んだ紫色と目が合う。
「ノア!」
私の名前を呼んだのは幼馴染であり前の時に私に『魔よけの指輪』をくれた恩人であるノアだ。どうやらわざわざ魔法で直接脳内に語りかけてきたらしい。驚きました?なんて笑っている。
「それにしてもいつもより早いですね、エラちゃん」
その言葉にキョトンとしてしまう。のんびりやったからむしろ普段より遅かったはずだ、と考えてハッとする。それはお城での仕事と比べての話だ。この頃の私と比べれば当然、経験の差で仕事が早いに決まっている。なんと答えたものかと悩んでいると再びノアが喋りだす。
「私は嬉しいです。エラちゃんと長く話せるので」
ノアがこちらに心底嬉しそうな笑顔を向ける。多分、私が言葉に詰まったから話題を変えてくれたんだと思う。その心遣いが嬉しくてつい私も笑みをこぼした。本当はこうしてノアと話している時間があったら再びあの悲劇が起きることがないように対策を考えるべきなんだと思う。それでも、この時間を捨てるのは嫌だから、これから頑張るから、少しの間だけ全てを忘れさせて。
「さあ、今日はどんな話をしましょうか?」
*****
ノアと話していたらすっかり日が傾いていた。流石にそろそろ戻らないと父が帰ってきてしまうだろう。
「そろそろ帰るね」
「はい、また明日。楽しみにしてますね!」
別れの挨拶もそこそこに家への道を歩く。なんとか父が帰宅する前に家にたどり着くことができた。ソロソロと中に入ると怒った顔をした義母に出迎えられる。
「こんな時間まで何をしていたのですか!」
「申し訳ございません、お義母様」
前も合わせてこんな理由で怒られたのは初めてだと思う。私が帰る時間をこの義母は気にしていたのか。確かに前の私が帰ってきていた時間よりは遅い気がするが父が帰る前に家にいれば問題はないと思っていた。
「今後、こんなに遅くなることがないようになさい」
「はい」
母が自室に戻るのを見届けて私も部屋に戻ろうとすると、今度は義姉たちに声をかけられた。
「エラ、貴女、どこも怪我なんてしていないでしょうね」
「…?はい、大丈夫です」
「貴女が怪我をしたら我が家が白い目で見られるのだから気をつけなさいよね。それと、もうすぐお義父様が帰って来るから早く着替えなさい」
それだけ言うと二人は談話室に向かって行く。一体何だったというのだ。とりあえず言われたとおりに朝来ていたドレスに着替えて父が帰って来るのを待った。
この日の義母や義姉の真意を私が知ることができるのはこれから数年経ってからのことだった。