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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第十二章 偲ぶ思いと伝わる愛情
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第八十八話



 八月下旬。参観日が終わり、あと数日もすれば九月に入るというのに、夏の暑さはまだ衰えることなく続いていた。真上にある太陽が、地面をギラギラと照らしている。

 今日は皆で水遊びをしようということになり、庭園には子ども六人は余裕で入れそうなビニールプールが二つ並べられている。


「そりゃっ!

「うわ、つめた!」


 きゃっきゃっとはしゃぐ子どもたちの笑い声を聞きながら、杏咲は縁側に座り、山盛りになった洗濯物を畳んでいく。昨日の昼食はミートソーススパゲティだったこともあって、一部の衣服にはオレンジ色の染みが滲んでいたのだが、透の手腕ですっかり綺麗に染みは落ちている。

 透が洗濯上手だから、伊夜彦もわざわざ最新式の洗濯機を買う必要がないと思っているんじゃないのかな? などと考えながら一枚一枚丁寧に畳んでいれば、そこに玲乙が通りかかった。読みかけの本があるからと言って、水遊びには参加せずに部屋に籠っていたのだ。


「玲乙くん、本はもう読み終わったの?」

「まぁ……、はい」

「よかったら皆と水遊び、しておいでよ。冷たくて気持ちよさそうだよ」


 吾妻たちのはしゃぐ姿を一瞥した玲乙だったが、そちらに向かうことはなく、杏咲の隣に座りこんだ。


「畳むの、手伝いますよ。まだたくさんありますし」

「いいの? ……ありがとう、凄く助かるよ」


 玲乙の好意を素直に受け取って、二人で洗濯物の山を片付けていく。


 玲乙は勿論、火虎や柚留など、此処の子どもたちは皆積極的に手伝いを申し出てくれるため、杏咲はいつも感謝していた。こうして洗濯物を畳むのを手伝ってもらうのだって初めてのことではないのだが……何だか、玲乙の手つきが、いつもより少しだけ覚束ないような気がする。普段はもっと無駄のない動きで、テキパキ畳んでいるイメージがあるのに。


「玲乙くん……もしかして、体調でも悪い?」

「え? ……いえ、何ともないですよ」

「……本当に?」


 心配を顕わにした杏咲にじっと見つめられて、玲乙は僅かに視線を逸らす。けれど杏咲は真っ直ぐな視線を向けたまま、玲乙の顔色を伺っている。


「……ちょっとごめんね」


 先に一言断った杏咲は、背中を丸めて顔を近づけた。突然距離が近づいたことに驚いた玲乙は、そのまま固まっている。――二人のおでこが、ぴたりとくっついた。


「うーん、やっぱり少しだけ熱いような気がするなぁ……今体温計を持ってくるから…って、玲乙くん、少し顔が赤いよ? もしかして、熱が上がってきてるのかも……」


 薄っすらと赤く色づいた玲乙の頬を見て、杏咲は慌てた様子で腰を上げる。


「ちょっと待っててね」

「あ、いえ僕は……」


 体温計を探しに行ってしまった杏咲に、玲乙の引き止める声は届かなかった。


「……はぁ」


 吐息を漏らした玲乙は、くしゃりと前髪を掻き上げた。おでこに触れた手は、確かにいつもより熱い気がする。


「……やっぱり、変な人だな」


 杏咲の先ほどの行動を思い返した玲乙は、何とも言えない表情で眉根を寄せて、堪えるように唇を引き結んだ。その綺麗な顔は、依然として薄っすらと赤く色づいていた。



 ***


「玲乙、大丈夫なのか?」

「うん、熱もそこまで高くなかったし、本人も大丈夫だって言ってたよ。しっかり寝てご飯を食べれば、直ぐに良くなると思うから」

「そっか……なら良かったぜ」


 水遊びから一足先に戻ってきた火虎が、杏咲の言葉を聞いて安心したように微笑んだ。


 あの後玲乙の熱を測れば、示された数値は三十六度五分だった。この程度なら大抵は平熱の体温と判断するだろうが、玲乙は平熱が三十五度台と低いらしい。そのため微熱があると透の判断が下され、今は私室で強制的に布団に入れられている。


 透はまた水遊びチームの方に戻っていったので、杏咲が玲乙の看病に当たることになった。そこに、玲乙を心配した火虎もやってきたのだ。


「火虎くんと玲乙くんは、仲が良いよね」

「ん? あぁ、まあな! 此処にきたのも、オレと玲乙が一番早かったしな」

「そうなの?」

「おう。初めは話しかけても無視されちまってさ、素っ気ない奴だなぁって思ってたんだけど……アイツ、ちょっと不器用なだけで優しいじゃん? だから、ぜってぇ仲良くなりたいなって思って、すっげー話しかけたんだ」


 台所でお粥を作る杏咲の横で、火虎は玲乙との思い出話を色々と聞かせてくれた。


「お、付け合わせに漬け物も持ってくのか? だったら、玲乙は茄子より、胡瓜とか大根とかの方が良いと思うぜ?」


 杏咲が小鉢に茄子の浅漬けを入れようとしていることに気づいた影勝が、胡瓜などのぬか漬けが入った、陶器製で赤茶色の容器を持ってくる。このぬか漬けは、最近試しにやってみようと透と漬けていたぬか漬けだ。少しだけ酸味の混ざった、深みのある独特の匂いが鼻を突く。


「そうなの? でも玲乙くん、前に特に好き嫌いはないって言ってたけど……」

「ああ、自分ではそう言ってるけどな。食事の時によ~く見てると、茄子が出た時は、いつもより食べる速さがちょっとだけ遅いんだよ」

「へえ、そうなんだね」

「あっ、これ、玲乙にはナイショな!」


 そう言って無邪気に笑う火虎は、普段から玲乙のことを気にかけて、よく見ているのだろう。友人としてとても大切に思っていることが伝わってくる。


 火虎の言う通り、胡瓜の漬け物を入れた小鉢を添えて、お粥と一緒にお盆に載せる。先に小鉢に出してしまった茄子の漬け物は、一口で火虎のお腹の中に消えていった。

 そうして出来上がった食事を持ち、お喋りを続けながら二人で玲乙の私室へと向かう。


「あ、そういえば……この前皆で忍者ごっこをした時、本殿に隠し扉を見つけたの。玲乙くんは隠し扉のことを知ってる風な口ぶりだったんだけど……もしかして、火虎くんも何か知ってる?」


 以前聞きそびれていたことを思い出した杏咲が何とはなしに話題に出せば、何故か火虎の表情が、沈んだものへと変わってしまう。


「……ワリィけど、そのことについて、オレから言えることは何もねえや」


 悲痛そうな、寂しそうな顔で話す火虎に、杏咲が言葉を返せずにいれば、火虎は杏咲の持つお盆をさり気なく奪っていく。その顔には、もういつもの溌溂とした笑みが浮かんでいる。


「玲乙のやつ、腹空かしてるかもしれねぇし、早く行こうぜ」

「……うん、そうだね」


 空気を換えようとわざと話を逸らした火虎に、杏咲も頷いて、そこで話を終わらせた。


 今の火虎の口ぶりから察するに、玲乙には――他人には言いづらい何かがあるのかもしれないと。そう感じたからだ。


 それに話を聞くなら、それこそ玲乙本人から聞くべきだろう。無理に聞こうとは思わないけど……いつか玲乙から、直接教えてもらえたらいいなと。杏咲はそう思った。



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