第八十七話
数刻前、祭り会場で見かけた十愛は、母親と父親と手を繋ぎ、その顔に嬉しそうな笑みを浮かべて屋台を見て回っていた。だから杏咲は、つい数日前に十愛が言っていた「母親は自分のことが嫌い」だという言葉も、何かの勘違いか、一時的なものだったのだろうと思っていたのだ。
けれど父親の言葉を聞いた感じだと、十愛と母親の関係はやはり、あまり上手くいっていないのかもしれない。それに――。
「……私、十愛くんのことを甘やかしすぎてますかね?」
杏咲は、先ほど母親に言われた言葉を思い出す。
「いや、そんなことないと思うよ」
「でも……親御さんにはそう見えているってことは、もう少し厳しくした方がいいってこと、なのかもしれませんけど……でも私、つい甘やかしたくなっちゃうんですよね」
子どもたちは皆可愛くて、ついつい甘やかしたくなってしまう。それはもう、杏咲の気質からくるようなものだった。
「うーん、確かに、時には厳しくすることも大切だと思うけど……杏咲先生はそれが出来てるから。そんなに思い悩む必要もないと思うけど」
「そうですかね……?」
「ほら、この前、吾妻のことを叱ってくれたでしょ? 本当にしちゃいけないことを伝えるために、吾妻のことを思って厳しくしてくれた。……杏咲先生はただ甘やかすだけじゃなくて、子どもたちのために本気で向き合うことができる先生だよ。あとはむしろ、存分に甘やかしちゃっていいと思うけどね。まだ子どもなんだから、めいいっぱい甘やかされて育つのは、むしろ当然のことじゃない?」
「はい……そう、ですよね」
持っていた綴じ込みから一枚の写真を抜き取った透は、それを杏咲に手渡す。
「むしろ甘くて優しすぎるところが、杏咲先生の美徳だと思うけどなぁ。俺は好きだよ、杏咲先生のそういうところ。……皆を大切に思ってくれてるんだなぁって、伝わってくるしね」
受け取った写真は、この前散歩に行った時に撮られたものだった。杏咲と十愛がぴたりとくっついて、満面の笑顔でピースしている。
「……透先生、ありがとうございます。話を聞いてもらったら、ちょっと気持ちの整理がつきました」
「そんなお礼を言われるようなことはしてないけど……それじゃあ、どういたしまして」
「ふふ、はい」
お互いにぺこりと会釈しあっていれば、何だかおかしくなってきて、顔を見合わせた二人は笑い合う。
「まあ、杏咲先生が急に厳しくなっちゃったら、あの子たち皆、泣いちゃうかもしれないからね」
「影勝なんかが可愛らしく泣いてる姿なら、ちょっと見てみたい気もするけど」なんて言葉を続けた透は、クスクスと笑い声を漏らした。
杏咲は手元の写真を見ながら、自身の思いを、自身の保育観について、今一度考える。
これが正しいのかは、まだわからないけど――それでもやっぱり、子どもたちにはいつだって笑っていてほしい。もちろん嫌なことや、悲しかったり悔しい経験をすることだってあるだろう。
だけど、柔らかくてあたたかな綿に包まれたような、そんな環境で、優しい思い出をたくさん作ってほしい。心から楽しいと思える経験をたくさんしてほしい。
大好きだよって気持ちはいつだって惜しみなく伝えていきたいと、そう思うのだ。
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