第八十六話
時折杏咲や子どもたちが交代して屋台の店番を手伝ったりしたのだが、そこで吾妻がかき氷のシロップを全部かけてしまって母親に怒られたり、取っ組み合いを始めてしまった酒呑童子と影勝のせいで屋台の看板が壊れるなんて小さなハプニングはあったものの――夏祭りは何とか無事に、大成功で終えることができた。
昼時を過ぎて、今は親御さんとの面談の最中である。面談は一家族ずつ順に、大体十五分程度で行うことになっている。
子どもたちは家族で大広間に残っていて、引き続き店の従業員や伊夜彦が相手をしてくれている。
「――面談は以上になります。お二人共、他に何か聞いておきたいこと等ありますか?」
「あの、……火虎と桜虎くんのこと、今後とも宜しくお願いします」
火虎と影勝の母親は、座布団の上に正座したまま、深々と頭を下げた。
息子二人の普段の様子を聞き、成長を喜びながら色々と質問していた母親に対して――父親は始終黙って腕を組みながら話を聞いているだけだった。そして結局、父親の方は最後まで一言も声を発することはなかった。
立ち上がった二人に倣って杏咲も腰を上げれば、父親と目が合う。真っ黒な着物は、火虎が普段着ているものによく似ている。しかしその凛々しい顔つきは火虎にも桜虎にもあまり似ていないから、二人共、各々母親似だったのかもしれない。
杏咲が頭を下げれば、父親は読めない表情で杏咲の瞳をじっと見据えた後、軽く会釈をして部屋を出て行った。
「それじゃあ、次で最後だ。次は……十愛の親御さんだね」
「はい」
透が手元の綴じ込みに目を通しながら言う。暫くしてやってきたのは、面談の最後を飾る、十愛の両親だった。
「あの……宜しくお願いします」
「宜しくお願いします」
十愛の母親と父親が、揃って頭を下げる。
父親の方は覚という心を読める妖怪のはずだが、その見た目は人間と全く相違ないよう見える。小柄で些か幼さの残る顔つきをしていて、黒髪は短く切り揃えられており、その瞳は、十愛と同じ藤色をしている。
母親はぱっちりした目元の美人さんで、薄紫色の着物がよく似合っている。十愛は母親似なのかもしれない。切れ長の大きな瞳や整った目鼻立ちがそっくりだ。
綺麗な人だなぁと、そんなことを考えていた杏咲と母親の視線が、ぱちりと交わった。――母親の表情は、どこかぎこちなく見える。もしかしたら、緊張しているのかもしれない。
「それでは面談を始めますね。まずは十愛の普段の様子をお話させてもらいます」
話を切り出した透は、普段の十愛の様子を話しつつ、十愛が写っている写真をプレゼントしながら、この時はこんなことをしました、といった思い出話をする。
時折話を振られた杏咲も、十愛の普段の様子や、こんなことが出来るようになったのだという成長エピソードなどを伝えた。
一通り話し終えて、その場に一瞬の間ができた。そのタイミングで、母親の方がおずおずと口を開く。
「……あの、一ついいでしょうか?」
「? はい、何でしょう」
透が笑顔で応対すれば、母親はその口を僅かに開いて、また閉じて――けれど意を決した様子で、言葉を紡ぐ。
「……さっき、お祭りの時に聞いてしまったんですけど……吾妻くんが梯子から落ちたっていうのは、本当ですか?」
「え、ああ……それは本当のことです。こちらの目が行き届いていなかったせいです。ご不安にさせてしまったようでしたら申し訳ありません。今後は更に気をつけていきたいと考えていますので――「いえ、それはまぁ、別にいいんですけど……」
理由を説明してほしいわけでも謝罪がほしいわけでもないらしい母親は、透の話を遮った。母親の言いたいことが分からず、透と杏咲は内心で首を傾げる。
「……あの。先生は、十愛を甘やかしすぎているんじゃないですか?」
「え?」
今の母親の言葉は、杏咲に向けて言われた言葉だろう。その黒い瞳は、真っ直ぐ杏咲にだけ向けられている。
「……困るんです。あの子はただでさえ甘えたな子なのに、もっと我儘な子になったらどうするんですか? もっと厳しくしてください。この写真も、こんな抱きしめたりとか……先生が甘やかすから、だから吾妻くんだって言うことを聞かないで梯子に上ったんじゃないんですか? もしそれが十愛だったらどうするつもりで…「おい、もうやめなさい」
止まらなくなってしまったらしい母親を、父親がそっと制する。背中をポンと叩かれ窘められたことで、母親はハッとした様子で僅かに俯いた。
「……とにかく、今後は十愛のことを甘やかしすぎないように……厳しくしてください。宜しくお願いします」
それだけ告げて立ち上がった母親は、そのまま部屋を出て行ってしまう。
「……妻がすみません。今日は、十愛に久しぶりに会えるって楽しみにしていたんですが……十愛と上手く話せなかったのもあって、少し苛立っているみたいで。だから先生に当たるようなことをして……」
父親は困った風に笑って「本当にすみません。今の話は気にしないでください。今後とも十愛のこと、宜しくお願いします」と言うと、頭を下げて母親の後を追いかけていった。