第八十二話
参観日当日。夏祭りの準備は、空いている時間に手伝いにきてくれた店の従業員たちの尽力もあり、何とか無事に間に合った。
離れの庭園には“かき氷屋さん”“だいふく屋さん”“やきそば屋さん”“水ヨーヨー屋さん”といったカラフルな看板が目立つ屋台が十店ほど並んでいる。
屋台の店番は店の従業員の男娼たちがやってくれることになっていて、子どもたちは親と一緒に好きに屋台を回れるようになっている。男娼の皆には、今度何かしらのお礼をしなければならないだろう。
「お父さん、これぼくが作ったんだよ!」
夏祭り会場を見て回っていた杏咲のもとに、柚留の嬉しそうな声が聞こえてきた。
「おぉ、これは上手いな。この絵も柚留が描いたのかな?」
「うん!」
「おぉ……! さすが僕たちの息子だな!」
「えぇ、本当に」
父親と母親に順に頭を撫でられて、擽ったそうに身を捩っている柚留と目が合った。
「あ、杏咲先生!」
ぱっと笑顔を浮かべて駆け寄ってきてくれた柚留の前で屈んだ杏咲は、その頭をそっと撫でる。
「柚留くん、お祭りは楽しい?」
「はい、とっても楽しいです!」
「ふふ、今日まで準備もたくさん頑張ってたもんね」
にこにこと満面の笑みで応えた柚留に杏咲も笑顔を返せば、そこに遅れて、柚留の両親がやってきた。
「あぁ、貴女が新しく来られた……杏咲先生ですね。いつも息子がお世話になっています」
「ふふ、この子ったら、手紙にいつも先生のことを書いているんですよ」
にこやかな笑顔で頭を下げる男性はがっしりとした体躯で、人の良さそうな雰囲気が前面に滲み出ている。
正反対に、ほっそりとした体躯の女性は、美しい黒髪に儚い雰囲気を纏っていて、その肌の色は驚くほどに白い。本当に、雪のような白さだ。真っ白な着物に身を包んだ彼女は、雪女の妖怪だというのが一目見ただけで分かる。
「改めまして、四月からこちらで働かせてもらっています、双葉杏咲といいます。今後ともよろしくお願いします」
杏咲も二人に頭を下げれば、目線の先で、柚留が頬を染めて笑っていることに気づいた。大好きな両親と杏咲がこうして対面して話していることが、嬉しいのだろう。
「柚留くん、今日はお父さんとお母さんとたくさん楽しんでね」
「……はい!」
いつもの白い手袋をはめている柚留だが、その手は父親としっかり繋がれている。
楽しそうな柚留の後ろ姿を見て、良かったと胸を撫で下ろしていた杏咲のもとに、何故か母親が一人で戻ってきた。
「あの……杏咲先生、一つだけいいでしょうか?」
「? はい、何でしょう」
「……あの人は、私の愛する唯一の人なので。――盗らないでくださいね?」
「え……は、はい! 勿論です!」
「ふふ、ならいいんです」
今、雰囲気が、一瞬だけ黒く澱んだように見えたような――目の錯覚だったのだろうか。
杏咲が一つ瞬きする間に、母親は先程までの儚い雰囲気を纏って柔く微笑んでいる。小さく頭を下げて、そのまま父親と柚留のもとへ行ってしまった。
――後で透から聞いた話だが、柚留の母親は、旦那さんのことを心底溺愛しているらしい。それは執着にも近い感情だそうで、周囲にいる女性への牽制は当たり前、少しでも旦那に気のありそうな女性がいれば、躊躇なく凍らせてしまうらしい。
「杏咲先生も一応気をつけてね」と言われて、あの時の黒いオーラを思い出した杏咲は、コクコクと必死に頷いたのだった。