第八話
「それじゃあとりあえず、子どもたちのところに行こうか。今ちょうど離れの大広間に集まってると思うから」
「分かりました」
離れに向かいながら、透に子どもたちのことを教えてもらう。
子どもたちは三~六歳が各二人ずつの計八人いて、皆男の子らしい。ちなみに、十愛と桜虎は一番末っ子の三歳コンビなのだという。
狐や猫又などそれぞれ種族の異なる半妖だそうで、その性格や好みなども、もちろん全く異なるらしい。詳しくは会ってから説明すると言われたが……杏咲は話を聞けば聞くほど、自身の胸の鼓動がドクドクと速くなっていくのを感じていた。
可愛い子どもとはいえ、その実態は人間ではなく半妖。十愛や桜虎には一度会っているとはいえ、緊張しないはずもない。
「……あ。そういえば、さっき伊夜さんが伝え忘れてたと思うんだけど、此処には住み込みで働くことになると思うんだよね。杏咲先生は大丈夫そう?」
「え、通いじゃ駄目なんですか?」
「うん。さっき伊夜さんも言ってたけど、あっちの世界とを行き来できるのって、基本的には霊力のある妖や高貴な神様くらいだからさ。伊夜さんが店を開ける日なんかも度々あるから、基本的にはこっちで生活して、用事がある時には伊夜さんにお願いして珠玉の橋から人間界に帰るって形になるかな」
「成程……」
――確かに、毎日伊夜さんに頼むのも申し訳ないよね。
とりあえずはひと月の間だけなのだし、住み込みで働くことで何か問題が生じることもないだろう。そう考えた杏咲は、了承の言葉を伝える。
「はい、分かりました」
「了解。それじゃあ帰りに、伊夜さんに伝えよう」
そんな話をしていれば、本殿を抜けてあっという間に離れに足を踏み入れていた。
「着いた。ここに子どもたちがいるよ」
透が足を止めた障子戸の前。その向こうからは、幼さを感じる可愛らしい声が漏れ聞こえてくる。
――緊張から、杏咲の肩に僅かに力が入る。
そんな杏咲に「ちょっと待っててね」と声を掛けた透は、「入るよ~」と躊躇なく障子戸を開けて室内に足を踏み入れた。
「あ、透! どこいってたん?」
「透先生、でしょ」
「え~、透のことせんせいなんてよんだことないで、おれ!」
「きゅうになにいってんだよ、きもちわりぃな」
「ねぇ透! みてこれ! おれがかいたんだよ!」
わいわいがやがや。そんな賑やかな声に耳を澄ませつつ、杏咲は廊下から、そっと室内の様子を覗き見ようとする。
「はい、皆静かに! 今日は大事な話があるんだ。――杏咲先生、入ってきていいよ」
透のその一声で、室内は一瞬で静かになった。
名前を呼ばれた杏咲は一つ深呼吸をしてから、ゆっくりと足を前へ踏み出す。
「「あ!」」
杏咲と面識のある十愛と桜虎の、驚きに満ちた声が重なった。
「え、だれやこのおんなのひと! 十愛と桜虎のしりあい?」
毛先がくるんと跳ねている黒髪の男の子が、元気いっぱいの声を上げる。その跳ね上がった毛先だけは眩しい金色に染まっていて、杏咲の脳内には、一瞬プリンの画が浮かび上がった。
「……」
「まぁ……ちょっとね」
男の子の問いかけに、ふん、とそっぽを向く桜虎と、口をもごもごさせながら視線を彷徨わせている十愛。脱走したことを皆には秘密にしていたこともあって、二人は何とも言えない気まずそうな表情をしている。
「杏咲先生は、これから俺と一緒に、皆のお世話をしてくれることになったんだよ。十愛と桜虎とは、この前杏咲先生が挨拶にきた時に偶々会ったんだよね」
事情を知っている透の機転を利かせた言葉に、杏咲も笑顔で頷いた。
「うん、そうなんだ。十愛くん、桜虎くん、久しぶりだね」
透と杏咲の言葉に、二人はほっと安心した様子で胸をなでおろしている。
杏咲に声を掛けられ、十愛は少しだけ恥ずかしそうに「うん」と返事をした。桜虎はそっぽを向いているが、その頭上にある耳が小さく揺れ動いている。
「あ! 桜虎、このおねえさんがきてうれしいんやろ~! みみがぴこぴこしとる!」
先ほどのプリンっぽい頭をした男の子からの指摘に、桜虎は図星を突かれたような顔をして杏咲たちの方に振り向いた。
「っ、はぁ!? そんなわけねーだろ! ……ケッ、ビビり吾妻のくせにうるせ~んだよ!」
「あ~‼ 桜虎がまたおれのことビビりっていうた!」
「ほんとのことだろ!」
桜虎の言葉に、吾妻と呼ばれた男の子の瞳には涙が溜まっていく。
「こら、二人共そこまで! 杏咲先生もびっくりしてるだろ」
「うぅっ……ごめんなさい」
「……ケッ」
下を向いて謝る吾妻と、顔をそむける桜虎。桜虎の獣耳はしゅんと垂れ下がっていて、透に怒られて落ち込んでいることが分かる。
「全く……。それじゃあ、まずは杏咲先生から自己紹介をしてもらってもいいかな?」
「……あ、はい!」
事の成り行きを呆然と見守っていた杏咲は、透の言葉に慌てて背筋を伸ばし佇まいを正した。子どもたちの目線に合わせるようにその場に腰を下ろして、一人一人に視線を巡らせていく。
「えっと、初めまして。私は双葉杏咲っていいます。これから此処でお世話になりますが、まだ分からないことだらけなので、色々と教えてもらえると嬉しいな。これから皆とたくさん遊んで仲良くなりたいなって思ってます。よろしくね」
笑顔で自己紹介を終えた杏咲を見つめるその視線は、期待に満ちたものから全く興味がなさそうなものまで……様々な色が現れている。
そんな空気の中、先ほど杏咲がプリンを連想した男の子――吾妻が嬉しそうに立ち上がった。
「はい! おれ、吾妻っていうねん!」
「そっか、あづまくんって言うんだね。お名前教えてくれてありがとう」
「へへ~」
「あづまくんは、何歳なのかな?」
「あんな、おれはな……えーっと……」
「吾妻は、大体四歳くらいだね」
吾妻が口籠っていれば、優しく笑った透が、吾妻にこっそりと耳打ちする。
「よんさいや!」
「そっか。お兄さんなんだね」
右手の指を四本立て、杏咲の一言一言に嬉しそうに笑う吾妻。その姿はとても子どもらしくて、可愛らしい。
杏咲は自身の頬がだらしなく緩んでいくのを感じながら、吾妻から他の子どもたちにも目を向ける。
「それじゃあ、今度は君の名前を教えてもらってもいいかな?」
吾妻の隣に座っていたのは、桜虎と同じように頭上に獣耳が生えている男の子。マッシュ風の髪は透明感のある蜂蜜の色をしていて、長い前髪から覗くその瞳は、綺麗な翡翠の色をしている。
しかし男の子は、杏咲からの問いかけには答えず黙ったままだ。一瞬合った視線はすぐに下を向いてしまって、身動くこともなくじっとしている。
「あんな、この子は湯希っていってな、おれとおんなじよんさい! 湯希はてれやさんやねん」
「……ちがう」
湯希の代わりにと吾妻が自己紹介を始めれば、その説明に湯希は小さな声で反論する。けれど持ち上げた視線が杏咲と合えば、その翡翠色はまたすぐに畳の上へと向けられてしまった。
「……そっか、ゆきくんっていうんだ。これからよろしくね。あづまくんも、教えてくれてありがとう」
「うん!」
次いで杏咲の視線は、湯希たちの後方に向けられる。
目が合ったのは色白の男の子。白藍色の髪をしていて、何だか全体的に細く、儚げな印象を受ける。男の子はふんわりと微笑んで、自ら自己紹介をしてくれる。
「あの、はじめまして。ぼくは柚留っていいます。五歳です。これから、よろしくお願いします」
――物凄く礼儀正しい子だ。五歳にしては、少し大人びすぎているような気もするけど。
内心でそんなことを思いながら、頭を下げて名乗ってくれた柚留に杏咲も小さく頭を下げて返す。
「ありがとう。ゆずるくんっていうんだね。こちらこそ、これからよろしくね」
「はい」
そんなやりとりをしていれば、柚留の斜め後ろに座っていた男の子が突然立ち上がった。
頭部には小さな角のようなものが生えていて、その髪は透き通るような銀鼠色。腰の下まで伸びた長い髪を、後ろで一つに纏めて三つ編みにしている。
「あ、君は……」
杏咲は声を掛けようとしたが、そんな杏咲を一瞥した男の子は無言で背を向けて、部屋を出て行こうとする。
「あ、影勝待ってよ。杏咲先生に自己紹介しないと……」
「あぁ? ……知らねぇよ」
柚留が引き止めようとするが、鋭い目つきで睨まれ一蹴されてしまう。影勝を纏う冷たい雰囲気に誰も声を掛けることができず、その背中はあっという間に見えなくなってしまった。
「……杏咲先生、ごめんね。あの子は影勝っていって、柚留と同じ五歳なんだ。根は良い子なんだけど、何ていうか……影勝は、人間が嫌いなんだよね」
「人間が嫌い、ですか……」
「うん。俺も口をきいてもらえるようになるまでかなり時間がかかったよ。しかも影勝、女嫌いでもあってさ。だから杏咲先生は、俺以上に苦戦するかもね」
苦笑いで告げられた言葉に、杏咲は以前自身が受け持っていた女の子のことを思い出した。
その女の子は杏咲や他の女性保育士には懐かず、男性保育士にばかり甘えるような子だった。その子は父親を生まれすぐに亡くし、母親が女手一つで育てていたのだ。だから亡き父を求めて、男性保育士に懐いていたのもあるのだろう。
また、女の子は朝早くから降園時間ギリギリまで預けられ、休日も母親は仕事があるからと、祖父母の家に預けられていたらしい。
そんな家庭環境も背景にあり、もしかしたら女の子の中では――母親と同じ女性である保育士は、素直に甘えられない存在だったのかもしれない。
幼児期の家庭環境は、子どもの成長や人格形成等に大きな影響をもたらす。
――もしかしたら、影勝くんの人間嫌いや女嫌いにも、何か理由があるのかもしれない。
影勝の去っていた方を見つめながら、杏咲はそんなことを思った。